ジャカルタのふろしき。

新卒でインドネシアはジャカルタに流れ着いて2年。日々生活で感じたこと、海外から日本を見て 思ったことなどを綴るブログ。最近JKT48にハマったため、関連の話題多めでお送りしてます。

毎日ブログ更新一ヶ月達成

終わった。

意外とできるもんだな。

少し自信がついた。

ここ で書いた通りぼくは意志が弱い。何らかの努力を継続したことが無かったのがコンプレックスのひとつだった。二週間以上、毎日何らかの努力を継続したことが無かったので、今回このチャレンジを達成したことは、意志の弱さを克服とは行かないまでも、そのヒントをつかむことにつながったと思う。

結局のところ、意志の強さを克服するというよりかは、継続したい活動を生活のルーティーンに組み込み習慣化してしまうしか無いということに気づいた。その実例を一つ作れたという意味では小さいながらも成功したと言える。

継続的努力の訓練のために「毎日ブログ更新」を選んだのには理由があった。

それは文章の生産力を上げるため。今後の人生でどのような仕事につくかはまだ分からないけど、何らかの形で言論活動をして行きたいと思っているので文章でのアウトプットに慣れておきたかった。

この目的を達したかについては疑問が残るが、それ以上にいくつかの追加の収穫がのでメモ代わりに記しておく。

①毎日という縛りをつくることで、「ちょっと面白いこと思いついたけど、そんなに広がるか分からないし」と従来アウトプットしなかったであろうネタをカタチにする感覚をつかんだ。ようするにアウトプット慣れし始めた。これは生産力をあげるうえで大きな収穫と言える。

②仕事おわりでアウトプットをするという時間的制約があったので、ぼんやり浮かんだアイデアをカタチ最にするまでの短距離を通る必要がある。そのためには自分の得意分野の情報やネタをパーツに使う必要があるので、結果的に自分の得意分野や関心領域をより明確に意識するようになった。

ネタに困ったときは過去の出来事を思い出してエッセイ風にまとめたりしたのだけど、やっぱり労働問題や社会福祉には興味が強いし、それなりの基本知識は忘れていなかった。日本の慣習や常識を俯瞰して問題点を整理するのも好きみたい。外から見た日本というタグでまとめたエントリの数が比較的多かったように思う。

③ネタにもよると思うけど、毎日書いてるとpvが面白いようにあがったので、目に見えるカタチで成果が上がるのはおもしろかった。1年半前にはてなダイアリーを開設してからpvは計1万5千くらいだったのだけど、一ヶ月ちょい前に果てなブログに移行してから毎日更新してたら一ヶ月足らずで一年半かかったpv数を抜いてしまった。意外と読んでくれる人っているんだな。

会社の先輩と、土用の丑の日の高級うな重をかけていたので、少し忙しい日も頑張れた。負けたら一万円以上の出費になる。この重みがなかったら更新できなかったかもしれない日も会ったので、この試みを手伝ってくれた会社の先輩に感謝。

ということで今週末か来週頭勝利のうなぎを食べに行きます。
ジャカルタでもおいしいウナギ食べれるところがいくつもあるので、写真もとってエントリにあげますので、乞うご期待。

海外から見た、日本の景気とAKB48総選挙結果の相関関係

家電業界が沈んで自動車業界が活況

先日、お世話になっていた、ロジスティック関係の仕事でインドネシア駐在していた知り合いが帰国した。帰国後の配属は中部圏だという。

インドネシアは世界第四位の人口を誇る上に、所得が上がり、市場が拡大し続けている。自動車メーカーとその関連産業にとっては非常に重要な地域であり、日本からのモノの動きも激しい。その意味ではその先輩の配置は一貫性があると言える。

そして、この中部圏への配置は栄転の扱いだという。国内では電機メーカーが弱っていてモノがあまり動かず、自動車関係で唯一元気なのが名古屋を中心とした中部圏。そこへの転勤をある程度喜んでいたようだった。

この出来事をぼんやり思い出して、掲題の「海外から見た日本の景気とAKB48総選挙の相関関係」を思いついた。

家電業界の大阪、自動車業界の名古屋

パナソニックやシャープ、三洋(もうないけど、、、)などは、僕の住むジャカルタでもサムソンやLGなどを相手に苦戦を強いられており、また国内でも厳しい状況だ。上記を筆頭にこの業界では関西を拠点とする家電メーカーが多い。関連企業ではないけど、大阪の中小企業はのきなみ壊滅的だというニュースを見たこともある。

一方、トヨタはインドネシアでシェアは3割を超えるなど(12年のメーカー別販売台数(シェア)は、トヨタ40万5414台(36・3%))拡大を続ける市場でどんどん勢力を拡大している。日系自動企業全体でも軒並みシェアを伸ばしており(インドネシア全体で日本車が9割以上)、二次請け三次請けの企業もインドネシア進出をするなど、自動車関連企業が多い中部圏は活況な様子。

ここまで書けば察しのいい方は既に何が書きたいか気づいたと思う。
SKEの躍進は、中部圏の景気が良かったことに起因するのではないか。また伸び悩んだNMBの票数は、関西圏の不況に起因するのではないか、という推測だ。

NMBオタが使ったお金とSKEオタが使ったお金の比較

SKEからは計18人がランクイン。18人分の票数を合計したところ、計500967票。

NMBからは計9人がランクイン。9人分の票数を合計したところ、計196372票。

様々な投票の仕方があることは承知しているが、ここではすべての票が、一番スタンダードな投票方法、一枚千円のCDを買ったものだと仮定する。

上記の総獲得票に千(円)をかけると、、、。

SKE 500967000円
NMB 196372000円

実に2倍以上の開きがある。

。。。

、、、。


五億。

SKEだけで五億円て。。。何人で50万枚も買ったのかわからないけど、景気よくないとむりでしょ。

結論

第4回の総選挙に比べて枚数が多くなっているが、これは劇場版にも投票権が封入されたというルール改正によるものなので、新規に増えたファンはあまりいないというのが定説のよう。であれば運営のやり方にNOを突きつけるために奮起した太いオタが多かったのではないか。太いオタになるためには、バイトではとうてい稼げない額を投入する必要があるはず。

中央に対する地方の反逆という意味では名古屋も大阪も意気込みはかわらないはず。

もちろん、SKEのほうが歴史があるとか、オリジナル公演ある分意気込みも違うんじゃないかとかいろいろな理由はあるだろうけど。

意気込みだけではこの3億円の差は埋まらないだろうな、と考えるならば。

SKEの躍進は、中部圏の景気が良かったことに起因するのではないか。また伸び悩んだNMBの票数は、関西圏の不況に起因するのではないか、という推測が少しは論拠をもったものと言えるのではないか。

ということで、来年までは自動車関係も活況が続いているはずなので、SKEの躍進はまだまだ続くのではないか。また、電機業界が一気に持ち直すことは考えづらいので、太オタへの過度な期待はできずNMBは広くファンを獲得する必要があるのではないか。

という結論でこのエントリを閉めたいと思います。






蛇足。
名古屋景気いいんだろうな。名古屋にあるそこそこの規模の企業につとめてる人は、その周辺地域ではめっちゃモテるらしい。ソースは東大卒の中部電力勤務の友人。

いいなあ。





ちなみに。
このエントリ書くにあたって第五回総選挙の結果調べるためググったんだけど、「総選挙」ってサーチするとAKBがトップにくる日本って国って一体。。。ヤフーでも結果は一緒。これぼくがAKB関連サーチしすぎて最適化されちゃっただけなんでしょうか。

宇野氏の「テレビの論理ではなく、劇場の論理で動いてほしい」という旨の指摘に激しく共感

「第5回AKB48総選挙を総括 反省会」を見て。

宇野氏の「テレビの論理ではなく、劇場の論理で動いてほしい」という旨の指摘に激しく共感したのでエントリをあげる。

完全にオタ向けのエントリで、総選挙を見て、さらにこの反省会を見てないとピンと来ない人もいると思うけど、オタたちこそふまえておくべき観点だと思う。

まとめブログ「AKB速報チャンネル」の内容を参照してもらえると、ぼくが言及する部分一部載っている。
http://akb48速報0.seesaa.net/article/366753580.html

上記まとめブログ記事より宇野氏の言説の抜粋。
でもその一方でずっとAKBがテレビの物に、ここ2、3年なりすぎてるってのずっと気になっていて。
さっしーが1位になって最後いいとものギャグやったじゃないですか、僕あの時にあれ?って思ったんですね。
もちろんさっしーは去年の後半凄い頑張ったと思うんですよ。
だから評価されて然るべきだと思うんだけど、じゃあ何で評価されてるかって言うとやっぱテレビで確認できるからなんですね。
博多百貨店があってテレビで彼女の功績が確認できるってのがすごく大きくて。
劇場とか握手会で頑張ってるメンバーとテレビ出れて稼げるメンバーの格差ってのはルール改正してもあんまり埋まらなかったと。
17位以下だとかなりルール改正が上手く行ってると思うんですね。
世代交代だとか支店本店のバランス改正だとか上手く行ってるんですけど。
でも選抜メンバーに関して言うとテレビ・バラエティ有利になってしまったってのはむしろ強固になってしまった。

劇場盤にも投票権がついたというルール改正とごっちゃに語っているので軸がぶれてしまっているが、重要なのは総選挙という、世間向けのイベントでは無い場所で(知名度が上がって世間向けにもなってしまっているが)、イベントの締めくくりでいいとものギャグをやったということが重要なのである。
劇場盤にも投票権をつけてまで、オタの参加できる度合いを強め、私たちはテレビや世間一般向けだけじゃありませんよ、という格好をつけたイベントであるにもかかわらず、テレビのギャグ、世間一般向けの象徴であるいいとものギャグで閉めてしまった。

例えるならばこんな感じ。
ある無名の劇団があって、なんだかめちゃめちゃ盛り上がってるらしい。ふとしたきっかけで劇団トップの俳優がバラエティに出て、めちゃめちゃハマって有名になったとする。その俳優の軸足が、テレビに移ってしまったとしたら。あくまで劇場の人間ですよ、という態度を忘れてテレビのやり方に飲み込まれてしまったとしたら。
劇場に通っていた熱心なファンは離れてしまうかもしれない。そうなると、もともとは「カルト的人気を誇っている劇団の俳優」ということで有名になったにもかかわらず、その知名度の根拠を失うことになる。

これを48Gに置き換えた場合、劇団のトップ指原が「あたしは劇団の人間ではなく、テレビの人間です」と態度を表明したともとれるのが、総選挙最後のいいともギャグだったのではないか。

48Gはいろいろな側面で語られることがあるが、あくまで劇場が主戦場であるのが特徴の現象であることは事実である。
劇場がおもしろくて、なんかよく分からないけどめちゃめちゃ盛り上がってる集団がいるらしい、という注目のされ方でスタートを切ってるはず。
そこがゆらぐと、本末転倒であり、自身の首を絞めていくことになるのではないか。


一気に書いたのであとで構成とか誤字とか直すかもしれないけど、とりあえず。

定時制高校の枠減少による貧困の再生産

4年前のとある日。生憎の曇り空の某都立高校に足を運んだ。年末年始の公設派遣村(失業者など生活困窮者の年末年始を支援する東京都の生活相談、宿泊提供の事業)で知り合った24歳の友人の入学式のためだ。彼は幼少の頃に唯一の肉親であった母と弟が蒸発してから、残された借金も背負って一人で生きてきた、苦労人という言葉でくくるには壮絶すぎる生活をしてきた青年だ。

生活保護申請やアパート探しにも同行していたので、住まいが見つかった後に定時制の高校に通えることになったときは嬉しかった。

仕事が見つからないのは努力が足りないだけだ、というような自己責任論がまかり通る昨今、努力を使用にも環境が悪すぎてどうしようもない人々の象徴のような存在だった。

その彼が晴れて高校に通えることとなった記念すべき日。保護者の気持ちとは言わないまでも感慨もひとしおだった。

早めに着いたので式が始まるまでの間保護者控室で座っていた。部屋に入ってきた保護者を眺めていると夫婦揃っていることはまれで、ほとんどが母親一人だった。母子家庭が多いのだろうか。少し色褪せたスーツを着た人や、疲労の色が見える顔をした女性が多い。決して楽ではない生活ぶりが伺えた。

入学式が始まり校長ほかの挨拶がなされた。「ご入学おめでとうございます」という言葉が聞こえるたびに涙が出そうになった。ほんとうにめでたい。

ぼくは自分の人生で入学式に四回出たが「入学おめでとう」が心に響くことはなかった。大学まで通うことを、どこかで当たり前だと思っていた。ぼくの生きてきた人生の中で関わった人々の家庭は、比較的裕福な部類が多く、親御さんも基本的には大学まで行かせるのを前提に考えている人が多かったような気がする。日本全体の大学進学率は50%程度なので、僕の周囲のようなほぼ100%大学に進学するような環境があるということは、極端な話まったく大学に進学する人がいない地域もあるということだ。

苦労して子どもを高校に通わせる、式に居合わせた周りの保護者たちに、心の底からの祝福の気持ちでいっぱいだった。色々あるだろうけど、是非卒業まで頑張ってほしい。


母子家庭世帯の平均収入は212万円で、相対貧困線に近付いている。大学はおろか高校に通わせることも難しい世帯は少なくない。収入が少ない、または昼間働く人々にとっては最後の砦となっている。しかしその砦の数は年々減少し教育の安全網は機能していない。

その年の三月には東京都立高校定時制の不合格者が313人であったと発表された。2009には公立高校定時制の不合格者が全国で計1174人に上った。大学卒や高校卒の就職率さえ低迷している不況下で、高校卒業の資格すら得られないこの1174人人はどうやって生きていけばよいのだろうか。

公立高校の授業料が無料になっても入学できないひとにとっては意味がない。一番支援が必要な層への、例えば定時制高校を増やすなど、社会保障の在り方を考えなければ、貧困の再生産はどんどん加速する。

自己責任論を声高に叫ぶ人々は、スタート地点を平等に近づける必要があることを再認識するべきだ。

音楽の本来あるべき姿

ギターにベース、キーボード、どの楽器も華麗に引きこなすソロモン諸島出身のジェフリーは、ぼくの音楽の師匠の一人だ。様々な国の若者が同じ船で旅をし、学ぶという内閣府主催の国際交流事業、世界青年の船(ピースボートとは違うのであしからず)で乗り合わせ、技術的なことはもちろん、何より音楽の本来あるべき姿を教えられた。

船に乗っている一月半の間、音楽を演奏する機会は本当に多かった。夕食時にサプライズで誕生日をお祝いする音楽隊を結成したり、様々な楽器を持ち寄って企画するライブや、ダンスや劇が好きな連中の企画したミュージカルに参加するなど、まだまだあるが数えきれない。廊下でギターを弾いていると、わらわらと色んな人が集まってきて、簡単な演奏会になることもしばしば。みんなで声を合わせて歌うと本当に楽しい。音楽は世界で最もメジャーな言語の一つだと再確認した。

ぼくはジェフリーをライブに一緒に出ようと何度も誘ったが、その度に笑って断られた。「ぼくは本当に大切な人の前でしかプレイしない」と最初に断られたときの衝撃は今でも鮮明に憶えている。ある日マライアキャリーの曲を歌うことになり、コードのアレンジをお願いした時のことだった。アレンジだけでなく一緒に演奏してもらおうと誘い、断られたのだ。最初は理由がわからず、何度も話すうちに少しずつ彼の発言の背景が見えてきた。

彼の音楽のルーツは教会での賛美歌。小さい頃から毎週日曜日に教会に通い、賛美歌に触れるうちに音楽にのめり込んでいった。歌に合わせてピアノを弾くうちに憶え、またインターネットでいろいろな音楽を見たり聞いたりようになり、ギターやベースも弾けるようになったという。キーボードもギターもベースも持っていないので、手を動かしながらイメージトレーニングをして、たまに教会や楽器屋で触らせてもらいながら憶えたというから驚愕。楽譜で憶えた訳ではないので、インプロヴィゼーションも自由自在。それでもライブをやって客をロックアウトすることには何の興味も無いらしい。家族や友人の誕生日会や教会でのプレイ、もしくは一人でひっそりと奏でるだけ。それが彼のにとっての音楽なのだ。

例えば音楽を生業にしたいと望む人が掃いて捨てるほどいる中で、そのうちのどれくらいの人が、家族や友人のためだけに心を込めてプレイしたことがあるだろうか。

日本のポップスやアメリカ•イギリスのロックなど商業主義の音楽を身近に感じながら育ってきたぼくは、音楽のほんの一部である「ステージ上のプレイヤーとステージの下にいる観衆という構図」をあまりにも自然に、当然のものとして受け入れていたのかもしれない。

クラブに行こうと友人に誘われたときに「踊れないから」と断る人が少なくないそうだ。ぼくもその一人で、気持ちはわかるのだが、そもそも「正しい踊り方」なんか存在しないはずで、これも「ステージ上のプレイヤーとステージの下にいる観衆という構図」を無意識に受け入れてしまっている例で、、、と話を広げると際限がなくなりそうなので話を戻す。

船に一緒に乗っていた一月半のうち、最後の二週間は、毎日のように廊下で座り込みながらギターを教えてもらえるようになった。少ない口数で丁寧に教えてくれる。ある夜、お互いの音楽のルーツについて話し合っていると、「この曲知ってる?」とぼくに聞きながらおもむろにギターを弾き始めた。ボブ•マーリーの『One Love』だった。大切な人の前でしかプレイしないという言葉は照れ隠しだったのか、それとも僕が彼にとっての本当に対切な人になったのか。

心から、大切な人のためのプレイ。本当に力のある魅力的な音楽の力の源泉はそんなところにあるのじゃないかな、と考えさせられた。

ジャカルタでMacBook Proをタクシーに忘れた話

ものをよく無くす。「小さい頃はテニスの試合の前の日であっても内職をした」という昔話をよくする倹約家の父にどれだけ怒られても治らなかった。自分でも病気だと思っていた。ところが不思議と無くしたものが手元に帰ってくることもあり、ある一件からその癖を修正して物をなくさなくなった。

インドネシアに住んで1年ほど経ったある日の話。
土、日、月とほぼ寝ないで作業に追われていたある日、出先からオフィスまでタクシーに乗り、つかの間の眠りについた。オフィスに戻り、作業を始めようとしてたとき、大きな違和感に襲われた。

、、、。

パソコンが無い。

MacBook Proをタクシーに置き忘れたことに気づいたのだ。一瞬頭の中が真っ白になった。情報を一元管理していたため、インドネシアに住んで一年強のほぼすべてを失うことを意味する。

タクシー会社に電話してGPSで探すようお願いはしたものの、ここは日本ではない。
携帯電話を一年に二度無くした(そのうち一回は泥酔してレストランに置き忘れ、一回はすられた)経験から、もう手元に戻ってくることはないとあきらめ、代替機の購入のためのやりくりや、バックアップしなかった情報のリカバーを考え始めた、、、が、考え始めつつも心のどこかで戻ってくることを期待していた。

その日追われていた作業は会社のパソコンでできるため、とりあえず作業を進めていると携帯電話が鳴った。

知らない番号だった。こんなときに誰だよ、めんどくさいなあ、と思いつつ電話をとると、「森さんですか?」と英語で尋ねられた。知らない男だ。留学経験のはなさそうだけど、、しっかり勉強した跡が見えるインドネシア人の発音。

若々しい声だった。30代半ばだろうか。そうだと答えると、「タクシーであなたのMacBookを拾ったので電話しました。今どちらにいらっしゃいますか?」とひどく丁寧に尋ねられたのでオフィスの場所を答えた。

すると、なんとオフィスまで届けてくれると言う。さらに驚いたのは「身分証明書を用意してほしい。あなたが本当の持ち主かを確かめたい」と最後に付け加えたことだった。やけに手際がいい。

30分ほどオフィスビルのロビーで待っていると、ぼくがMacBook Proを置き忘れたタクシーと同じ車種の車が止まり、ドアが開いた。中から出てきたのは、背丈は170センチほど、奇麗にアイロンのかけられた白いシャツとグレーのスラックス、ピカピカの黒い革靴という身なりの男性だった。

「あなたが森さんですか」と訪ねられたので、そうだと答えた。まず、初めまして、と手を差し出してきたので握手をした。彼は自分の名前を名乗った後に、ラップトップの持ち主かどうか確かめるために、身分証を見せてもらえないかというので、その後にパスポートを手渡した。すると名前と顔写真の部分を見た後に僕の顔を見て「疑う訳ではないのだけれど、念のため確認をしたかっただけだ」といい気遣う姿勢を見せながらラップトップを僕に手渡した。

このときは作業に追われたいたため、一時的にパスワードを外していたのが功を奏した。ぼくがタクシーからおりた後に乗った彼は、パスワードがかかっていないことを知り、持ち主の情報を調べたところ、名前や電話番号を知り電話したとのこと。

パスワードがかかっていないとはいえ、妙に手際がいいと訝しんでいたら、彼の職業が大手携帯電話キャリア会社であることがわかった。通りで機器や情報の扱いに慣れている訳だ。少し世間話をしたところ、出自がお金持ちという訳ではないが、有名大学を出て有名企業に就職したエリートだった。いわゆる中間層に成り上がった層のひとりだ。

ぼくは彼にお礼をいい、オフィスまでにかかったタクシー代を払いたいと言うと、きっぱりと固辞された。そういうわけにはいかない、と少しやり取りをしていると、彼が「わかった、じゃああの運転手にあげてくれ。」と謎の解決策を提示してきて、引き下がるわけもいかないので、運転手にその代金を支払った。運転手はなんだかわからないが金がもらえてラッキーという顔をしていた。

最後に、ぜひお礼がしたいのでそのうちランチに行こう、と彼の電話番号を教えてもらった。感謝の気持ちが大きいのはもちろんだったが、世の中こんなにうまくいくものか?と少しだけ疑問を抱いた。念のため、ほんの少しだけだが、情報抜き取られてないかとか細工されてないかみたいな疑惑もあった。すんなり電話番号を教えてくれたので、ほんの少しでも恩人を疑ったことを恥じ、翌週にランチの約束をし、彼が去るのを見送った。

血の気が引く思いは今後もあまりしたくないので、このときから、常に持っている鞄の中でものを入れる場所を決めた。携帯電話はここ、鍵はここ、ラップトップはここというような感じで。自室でも、会社でも、出先でも。たったそれだけの習慣付けだったが、その後ものを無くしていない。たったこれだけのことをなぜ今までできなかったのか不思議だ。

あと、日本以外でものをどこかに置き忘れると100%戻ってこない、と思っていたけど。インドネシアでも特にお金に困っていない道徳的な人はいて、国民の所得が上がるにつれてそういう人も増えていくのかも。この一件はその象徴かもなと思った。最低限の所得がないと道徳もへったくれも無いし。

まあ、とりあえずめっちゃ運がよかった、助かった、という話。

英語を話せるということはそれ以上でも以下でもない

ただ単に英語を話せるということはそれ以上でも以下でもない、という実も蓋もない話。
以下の話をふと思い出したので、まとめてみた。

ジャカルタ在住の日本人が集まるバスケットのチームがあって、一年に二回海外遠征をしている。昨年シンガポールに行った際、チームの先輩と二人で帰りの便に乗り遅れたときの話。

僕のミスで時間を間違え、飛行機を乗り過ごす。ぼくもその先輩も旅行慣れしておらず、勝手が全く分からない。
僕の仕事上のお客さんでもあり、ある業界のスペシャリストである先輩は多忙を極める方だったので、ただただ申し訳なくてテンパった。ジャカルタの日経製造業に悪影響を及ぼしてしまうかもしれない。

僕の行動は、各チケットカウンターの人に、「今日の夜の便に空きはないか」とただ尋ねるだけだった。そのときは三連休の最後の日曜日の夜遅くで、空きがあるはずがない。各航空会社のカウンターで一通り断られて退散した後で、他にも聞く必要のある事柄に気付き、「明日の朝ならどうか」「値段はいくらか」と、2度3度各カウンターに聞きにいく始末。効率悪いったらありゃしない。しかもカウンターを訪れて、クローズの看板が出ている場合、すごすごと退散していた。

それに引き換えその先輩は英語が苦手にも拘らず、もう閉まっているというカウンターにもしつこく喰らいつき、貴重な情報を次々と集める。ぼくが英語で話し、けんもほろろに追い返された相手から情報を引き出して「マレー人系の人は、インドネシア語で話すと親切に教えてくれるわ」とにっこり。インドネシア語も片言なのにすごい。フライト掲示板を隅までチェックして、このエアラインではどうか、などといいながらネットで値段と時間を調べ上げる。

こんな局面では、英語が話せるからといってピンチを打開できるわけではない。カウンターの人と話す際に、ただほんの少し便利なだけ。尋ねるべき事を把握していれば、身振り手振り+片言で完全に事足りる。

先輩の情報収集のおかげで、結果的に元々とっていたチケットを使って、振替えというかたちで安く飛行機に乗れることがわかった。二席だけなら十中八九空きが出るはずなので、翌朝にカウンターにきてくださいとのことだった。翌朝5時からカウンターの前で待っていたところ、無事搭乗することができた。旅慣れている人にとっては当たり前のことらしいけど、知らなかったのでかなり焦った。

要するに英語話せたとしても使えないやつは使えないし、英語話せなくても使えるやつは使える。という実も蓋もない話。

要するに英語ができることと、仕事ができることは全然関係ないよ、という話。
英語できるけど能力低いやつ育てるよりかは、英語できないけど能力ある(仕事できるやつ)の方が絶対に使える。仕事できるやつは語学習得するのも割と早いじゃないだろうか。とこの一件を通して思った。

能力高いけどプライドが高すぎる人は外国語学習向いてないので、その限りではないけど。
僕の考える外国語学習に必要なことはこのエントリにまとめたので、興味ある方はぜひ。↓
JKT48仲川遙香に見るコミュニケーション力upのコツ