ジャカルタのふろしき。

新卒でインドネシアはジャカルタに流れ着いて2年。日々生活で感じたこと、海外から日本を見て 思ったことなどを綴るブログ。最近JKT48にハマったため、関連の話題多めでお送りしてます。

世界最悪の渋滞 - 大雨+新車販売台数増加=近年最大の大渋滞

 インドネシアでは毎年10月後半から4月前半にかけて降水量が圧倒的に増える、雨期が来る。インドネシアでは5年に一度大洪水が起こると言われている。2002年、2007年と来たので、2012年の1月あたり危ないと言われていたが、今年はこなかったのでそろそろまた大洪水が起こるのではないかと考えられている。(もちろん中規模の洪水はところどころでおこっている)。
 そんな中、先週末、21日、22日、23日のこと。集中的豪雨が発生し、自動車増加によってひどくなっている渋滞が、さらにひどいものとなった。身の回りにいるインドネシアに住んで長い人々も認める、近年最大級の渋滞であった。
雨の規模自体は五年に一度の大洪水に及ぶべくもないが、近年急激に増加している自動車数の増加に伴う道路の渋滞状況が影響し、大渋滞を引き起こした形となった。

弊社じゃかるた新聞を含むインドネシアの各新聞が、この渋滞を報じた。以下その写真と記事をアップする。


じゃかるた新聞/12月22日(土)8面


KOMPAS/12月22日(土)一面
金曜日の大渋滞の様子。一台の車が中央分離帯を乗り越えていく様子を映した写真。こんなのありかよ、と思うけどありえないことが結構頻繁に起こるのがインドネシアクオリティ。


KONTAN/12月22日(土)一面
上のKOMPASと同じ場面を撮ったのかと思いきや、よく見ると違う車。つまり、一日に何回も同じことが起こっているということだ。


RAKYAT MERDEKA/12月22日(土)一面
反対車線ががらがらなのに、南に向かう車線が完全に麻痺している。帰宅ラッシュ+雨の最悪コンボ。


JAKARTA RAYA/12月22日(土)一面
帰宅ラッシュが暗くなるまで続いた。


じゃかるた新聞/12月24日(月)1面
土曜日に降った大雨の様子。この日は事務所で作業をしていて、夕方頃に帰ろうとしたところ、事務所ビルの前がにわかに洪水状態になっていて、しばらく帰れなかった。


KORAN TENPO/12月23日(日)一面
上の写真に続き、土曜日に降った大雨の様子。


INDOPOS/12月23日(日)一面
上の写真に続き、土曜日に降った大雨の様子。


 本来は雨期でもスコールのような強い雨が降り、短時間でやむ。ところがここ最近の雨は強い雨が長く降る傾向にあり、これが洪水に繋がるのかなという気がしている。
 大雨が降らなくても渋滞は日に日にひどくなっている。この渋滞に愚痴りたくなる気持ちもあるが、この渋滞を引き起こしている自動車販売数増加のうち9割以上は日本車だ。インドネシアで働く日本人のうち、多くを占めるのが大手二輪四輪メーカーとその下請け産業だ。そしてじゃかるた新聞を含む、その日本人向けのサービス業。つまりインドネシア人が日本車を買ってくれるから飯を食えている人たちが多いので、公然と文句を言うのははばかられる。
 が、それにしてもひどい渋滞。早く鉄道やモノレールの完成しないかな。

インドネシア最古のジャズフェスティバルいってきた

先日11月25日(日)、国内で最も歴史があるジャズ音楽祭「第35回ジャズ・ゴーズ・トゥ・キャンパス」に行って来た。
会場はインドネシア大学(日本で言う東大)の経済学部棟。敷地がめちゃめちゃ広いので、学部ひとつの広さでフェスができてしまう。郊外にあるのでタクシー代をけちって電車で移動。タクシーだと15万ルピア(1400円くらい)ほどかかるところが8000ルピア(80円くらい)で済んだ。

「世界の宗教をざっくり理解する/新潮新書/島田 裕巳著」を読みながら最寄りの駅で電車を待つも、待てども来ない。タクシーで行くべきだったかと少し後悔するも、電車に乗ってみれば30分足らずで到着。しかも会場の大学の近くはめちゃめちゃ混んでたので結果的には大正解。

家を出たのが3時半過ぎで、会場に着いたのは夕方5時。もっと早く来ればよかったかな〜なんて思っていたが、着いてみると、夜の12時まで終わらない事が発覚し、もっと遅く来ても良かったかと思いつつ散策。

さて、会場に着いて、チケットを買う。冒頭の写真がチケット。
5万8千ルピア(550円くらい)でたくさんの音楽に触れることができる。今日の目当てはインドネシア人ポップシンガーのトンピと、日本人としては初めてこのイベントに出演するオレンジペコー。これだけでかなりご機嫌。

とても喉が渇いたので、レモンスカッシュと、小腹がすいた気がしたのでフランクフルトを頼んだ。レモンスカッシュを買った店では、自分の前の客がモヒートを頼んでいて、欲しくなってしまったけど、なぜかレモンスカッシュを頼んでしまった。生のレモンと瓶のソーダ水や、モヒートに生のミントを使うなど悪くないクオリティ。フランクフルトも悪くなかった。

各ステージのスケジュール表。

各ステージや配置を一通り見終わった後、おなかが減ったのでポテトとホットドッグを買った。ポテトはかなりうまかったけど、ホットドッグがすげーイマイチな上にさっき食べた悪くないフランクフルトより2、5倍高い。ぼったくりだけど、まあいい。
あと、気になっていたモヒートもさっきの店で買った。注文して作ってもらうと酒を入れなかったので、酒はあるかと尋ねると、酒を入れるなら5万だ、と倍の値段をふっかけて来た。が、瀬に腹は代えられない。インドネシア大学の中で酒を買えるとは思っていなかったし、さっき頼んだレモンスカッシュも悪くなかった上に、生ミントを使ったモヒートを飲みたかったので、割と気持ちよく払った。

フランクフルトを食べていると雨が降って来たので、食べ終わった後もしばらく座っていた。入り口に近いビタミンシーステージでやっている音楽が大音量で聞こえてくる。生のミントの香りとフレッシュレモンの味がきいたモヒートを飲みながら、雨模様の空を眺めて、ジャズを聴いていた。悪くないひととき。

しばらく座っていると雨から避難する客が飲食ブースに押し寄せて来た。7時も近くなりよるご飯の時間でもあったのだと思う。
椅子ひとつ空けたところで押し寄せた大勢が座れるわけでもないけど、雨が小振りになって来たので、少し氷が溶けて薄くなった残りのモヒートを持って、メインステージへ移動した。

目当てのトンピが8時から、その後オレンジペコー10時だったので、場所取りも兼ねて7時からのギグから聴くことにした。

そのギグはかなりハズレで、長髪のぽっちゃりしたおっさんが出て来て、いまいち盛り上がらなかった。途中からゲストで若い女の子が出て来て、おっさんといちゃつきながらデュエット。完全に二人の世界でいちゃつきながら歌ってるので、裏でやれって感じだった。これ絶対控え室でやってるだろみたいな、、、。

観客もかなりしらけたところで、トンピ待ちのMC。協賛メディアの名前をいちいち全部言っていたので、じゃかるた新聞も協賛すれば良かったな、なんて思いつつもし仕事してたらしっかりライブ見れなかったと思うのでこれはこれでありかなとか考えてるうちにトンピ登場。

ざっくり説明すると、トンピはスティービーワンダーを敬愛するポップシンガー。ジャズやソウルのテイストの強いアルバムや、「Soulful Ramadhan2」という宗教色の強いアルバムを出すなど、インドネシアを代表する音楽家。職場に音楽大好きな同僚がいて、彼に一番好きなインドネシア人歌手は誰かと聞いたところ帰って来たのがトンピだったのが、聴くようになったきっかけ。といってもアルバム二枚しか持ってないけど。下の写真中央がトンピ。ハットがトレードマークで常にかぶってる。

はっきり言って、今までのライブの中でも1、2を争うくらい気持ちよかった。
知ってる曲はあまりない。全くよれないリズムを刻むバックバンドに、心地よいメロディーが重なる。
たぶん打ち合わせにはなかったんだろうな、っていうトンピの急なフリにも完全に対応するバック。たぶん長い事一緒にやってるんだろうな〜という年期を感じさせる。完全な勘だからほんとのとこはわかんないけど。ギターもドラムもサックスも、パーカッションもベースも最高。
各楽器を指差して即興させたり、音をきったり、徐々に大きくしたり。指揮者みたいにステージ全体を動き回ってた。
ライブが終わったとき、ライブでのりのりだった気持ちが切れて、それまでの疲労がどっと押し寄せて来た。にもかかわらず、耳が、足が、体全体が幸せだった。心地よい疲労感。あと一曲って言われた時の残念な気持ちはでかかった。

途中、ゲストで9歳の男の子が出て来て、いっしょにプレイしてた。みかけは冴えないメガネのひょろいもやしっこだったけど、ピアノの前に座ると豹変。ソロをふられても他の楽器に負けないクオリティの即興プレイ。一曲で下がっちゃったけど、インパクトはでかかった。

次の次の曲でゲストがもう一人、こちらもさえないおばさんが出て来て、最初は誰だよ感半端じゃなかったけど、ピアノ弾かせるとすごくて、どうやら有名ジャズピアニストだった模様。即興もすごかったけど、他のバックバンドから比べると、息の合い方の点で若干落ちる感じ。童謡みたいな曲を合間に挟むユーモアたっぷりの演出もあったけど、ぼくにはギャグに逃げたような、置きにいった感が感じられて少し不満だった。逆にさっきの9歳の男の子のすごさが感じられた。

次の日に調べて分かった事だけど、トンピはインドネシア大学医学部の卒業生らしいので、母校凱旋ツアーでもあったようだ。歌うまくて楽器できて頭よくて医者ってすごすぎるだろ。

オレンジペコーまで30分くらい空くけど、最前列はしっこという悪くない場所なので動きたくない。足も疲れたし、正直MC何言ってるか分かんないし、ちょっとだるかった。
MCが時間を持て余したのかも仕込みだったのか分からないけど、素人を4人くらいステージに上げていじり倒してた。そのうち一人が日本人だった。観客を映すモニターを眺めていると、友人の紹介からFacebookでやりとりしてるのにいまだに会えてない人がいて、彼女も会場にいたのを発見した。すげーニアミス。

そんなこんなでようやくオレンジペコーの登場。

野外ステージで、ぼんやりと浮かぶ月の下。オレンジペコーのアコースティックを聞くにはもってこいのシチュエーションだ。夜をモチーフにした曲が多くて、ここに彼女ときてふたりで揺れる、、、なんてデートできたら最高だよな、って感じ。ギター一本のアコースティックなので、リズムは揺れ気味だったけどそれも含めた雰囲気は抜群だった。もともと好きだったけどライブに行った事はなかったので、とてもいい機会だった。

あと、個人的な創作活動において、メジャーコードばかり使った曲調がしみついているので、おしゃれなコード多用する曲が多いオレンジペコーを聞き込んだり、参考にしたいな、と思った。

オレンジペコー始まる前に、おわったら12時近くなるしどうやって帰ろうかな、なんて考えてると弊紙記者が取材に登場。これで車に乗せてもらえるラッキーてな感じで心配もなくなった。

オレペコ終わりで記者の取材を待って帰宅。ふたりで、音楽やりたくなって来たなんて話をしながら。
ジャランジャクサという安宿街のバーで、二人で演奏しようという話をしているうちに自宅に到着。就寝。
充実した一日だった。

世界一日本車が愛される国 - 東南アジアにおける日本製造業のゆくえ

 
事務所近くの歩道橋から、夜8時頃のジャカルタ。
バス専用道路にまで乗用車が入り込んで、ひどい渋滞。

 アメリカのミステリー小説家、ジェフリー•ディーバーの小説「ボーン•コレクター」にこんな場面がある。若い刑事が主人公の探偵役に事件を説明する中で、「使われた弾丸の径は三二」と説明し、「ホンダ•アコード並みにありふれた弾ですね」付け加える。小説の舞台はアメリカだが、この事件の舞台がもし現代のインドネシアであれば、この若い刑事は「トヨタ•アバンザ並みにありふれた弾ですね」と付け加えるだろう。そのくらい今のジャカルタは日本車、主にトヨタで溢れ返っている。そこらじゅうで見かける2大タクシー会社のブルーバード社とエクスプレス社もトヨタ車を採用している。

 先日、インドネシア国際モーターショーが、9月20日から30日まで開催された。(その様子を以前エントリにまとめたものが こちら
 世界の名だたる35ブランドが出展し、展示面積も約7万平方メートルと過去最大規模だ。アウディBMW、シボレー、フォード、ジープ、メルセデス、フォルクスワーゲンなどの西欧ブランドから、ジーリーやフォトン等の中国ブランド。勢いのあるインドのタタモーターに、トヨタ、ホンダ、三菱、マツダ、いすず、スバル、スズキ、日産‥。
 名だたる有名ブランドの車が処狭しと並んだ7万平方メートルを見て、改めて事態の異常さを感じた。車にそれほど強い興味を持たない僕ですら知っているブランドが並ぶ中、インドネシア四輪マーケットの中で日本車のシェアが9割を超えているのだ。

 2011年インドネシアの4輪販売台数は89万4000台で、2輪は804万台。運輸省によると2014年には車の道路占有面積が道路の総面積を超え、交通が完全に麻痺すると言われている(もう超えているというデータもあるシンクタンクから上がっているし、実感としても完全に麻痺している)。
 そしてその販売台数の9割以上が日本車なのだから、いかに多くの日本の車が走っているかが分かる。もし仮にトヨタの社長が「いついつまでにトヨタの新車の道路占有面積で道路の総面積を超す」と宣言しても、もはや単なる冗談には聞こえないと言ったら、、、それは極端かもしれない。インドネシアはある側面では日本よりも親日、つまり日本よりも日本車が走っていると言っても言い過ぎではないだろう。特にトヨタ(2012年7月四輪業界シェア37・5%)とホンダ(2012年7月二輪業界シェア57・0%)の影響力は圧倒的だ。

 冒頭の写真は事務所近くの歩道橋から、夜8時頃撮影したもの。写真右上に見えるバスの専用道にまで乗用車が進入し、身動きが取れない状況。毎日がこんな状況というわけではないが、めったにないわけではない。渋滞のひどさを少しでも理解して頂けるだろうか。

 このような背景もあり、昨年と今年はインドネシアに進出する日系企業が爆発的に増えた。その中心となったのが四輪と二輪のメーカーについてでてきた部品製造メーカーだ。インドネシアでの日本メーカー産二輪•四輪の生産台数増⇒大手メーカーの工場増設•新設が呼び水となり、下請けメーカーが雨後のタケノコのように増え、それを補助する商社やサービス業が増えたという形だ。

 日本人としては、「海外で勝負する会社が増えた」と嬉しい気持ちもある。ところが、楽観的に考えられない側面もある。昨年までに進出している企業は、その何年も前から進出を検討して、程度の差こそあれ綿密な準備のもとにインドネシアに来ている。その一方で、インドネシアの好景気が話題に上がるようになってから「日本にいても仕事が無いため、インドネシアでの見込み客も無いのに慌てて出て来た」という会社も少なくない。そして、それらの会社に対して現在は大きく分けて二つの見方がある。

 ひとつは、厳しいけれど、その多くは成功すること無く日本に戻る可能性があるという見方。
 その理由として、現地の部品メーカーの方が圧倒的にコストが低い点が挙げられる。高度な技術が必要とされる四輪の電装部品などはまだしも、それ以外の簡単な部品であれば現地企業でも作れる上に、彼らのほうが圧倒的にコストが低い。「日本人同士で話が通じるし、安心できる」という理由だけで仕事がとれる時代は間もなく終わろうとしている。というかもう既に終わっているのかもしれない。

 ふたつめは、やはり「日本人のものづくり精神は馬鹿にできない」という見方。日本人と日系企業は、東南アジア各国企業と比べるとクオリティコントロールについての意識が高い、という神話は根強い。搭乗者の命を預かる大事な製品である二輪、四輪には、一定以上のクオリティが担保されなくてはならない領域がある。とある工場用ロボットメーカーの方によると、四輪の全ての部品のうち8割、二輪では7割くらいは日系企業に頼むべき領域であると言う。
 例えば、日系企業と韓国企業から焼き入れの仕事を受けている人の話によると「韓国企業の場合、日本メーカーだったらロットごと作り直しレベルの荒さが放置される」という。全てがこの通りなのか定かではないけれど、似たような話はよく耳にする。
 ローカル企業の技術力も上がって来ているとはいえ、一定以上の水準を保たせる場合、結局日系企業に発注する方が安くつく場合が多い、と言う話を聞いた。

 この二つの見方は一見相反するようだが、僕はどちらも正しいと考えている。

 まず、大前提として、「自社の技術がその分野においてどのようなレベル、コストか」「他の地域と比べてどうか」ということを意識する必要がある。それを意識せずに「とりあえず場所を変える」という行動をするのは問題の先送りにすぎず、リスクの高い行為である。しっかりとマーメティングをした上で海外進出であれば、仮にコストで現地企業に負けたとしても、それ以外の付加価値を提供する事で対応することができる。何も考えずに進出してコストで負ければ、得るもの無く撤退することになるのは自然な帰結。蛇足ではあるが、これは企業だけでなく個人レベルでも全く同じ話ができる。これについては以前のエントリを参照して頂きたい。↓
『最近の若者はだらしない』という説教に見るグローバル観の欠如

 ではどのような付加価値を提供できるのか。高水準の製造活動を維持するうえでは、技術があるという事の他に、ものづくりに対する姿勢やこだわり、労働意識が必要不可欠である。東南アジア各国の民族性に顕著な、勤勉とは言いがたい国民性を考えると(もちろん全員とは言えないがやはり多いと言わざるを得ない)、時間になったから帰宅する、休日だから連絡がつかない、ということであればクオリティコントロールの仕事は成り立たない。その意味では、管理責任をしっかり負うことができる日本人はどの生産拠点でも必要となる。
 過労死が横行するほどのコミットを求めるのはやり過ぎだとしても、社員がある一定以上のコミットをしない限り、繊細な品質管理は困難である。その意味では「日本のものづくり精神」はまだまだ捨てたものではなく、他国の生産技術が上がったとしても、日本の製造業はまだまだ見るべきところがある。

 最後に「日本の製造業が捨てたもんではない」という話と「これまでの雇用をそのまま維持できるか」と言う話は全く別。多くの人が安心できるわけではないことを付け加えておく。

 以上、特に新しい指摘があるわけでもないが、ジャカルタの2輪と4輪事情、そこから見える日系企業製造業の行く末をまとめてみた。


※文中データのソースはすべて「じゃかるた新聞」
http://www.jakartashimbun.com/

インドネシア国際モーターショーの盛況っぷり(キャンギャル写真多め) - 展示会というより即売会

モーターショーに行って来た

先日(といってもけっこう前)、インドネシア国際モーターショーが、9月20日から30日まで開催された。世界の名だたる35ブランドが出展し、展示面積も約7万平方メートルと過去最大規模だった。アウディBMW、シボレー、フォード、ジープ、メルセデス、フォルクスワーゲンなどの西欧ブランドから、ジーリーやフォトン等の中国ブランド。勢いのあるインドのタタモーターに、トヨタ、ホンダ、三菱、マツダ、いすず、スバル、スズキ、日産‥。
会期中に二度、初日のメディア向けオープンと最終日に足を運んだが、まず驚いたのはショーというよりかは即売会の様相を呈していた事だった。
(以下キャンギャル写真多数。友人から借り受けたカメラを使っており、慣れないため写真のピントがあってないもの多数。使えない写真も多く、編集して気づいた時の落胆は大きかった。)
以下目次
◆10日間で来場者35万人、成約額366億円
◆展示会というより即売会
◆キャンペーンガールに見るインドネシアの美意識
◆指紋だらけになった車散見される



10日間で来場者35万人、成約額366億円

じゃかるた新聞によると、「9月29日までの段階で、成約額は4兆4千億ルピアに達した。最終集計はまだ発表されていないが、目標の4兆5千億ルピア(約366億円)を超えることは確実となった。入場者数も最終日を残して32万人を超え、昨年実績の1割増に設定した35万人の目標達成もほぼ確定的」だった。



展示会というより即売会

営業スタッフが多く配置されており、獲物を狙う目がめまぐるしく動く。ちょっと車を見ているだけで声をかけられるだけならまだしも、ブースの前を通る来場者に声をかける営業スタッフも多い。池袋や歌舞伎町のキャバクラの呼び込みがフラッシュバックした。
弊紙じゃかるた新聞の広告でもいくつかの会社が広告していたが、会期中は特別なレートのローンを組めたり、会場でもお得感を煽る営業が多い。一般的に、月給の十二倍、つまり年収くらいの値段であれば買うという傾向が強いようだ。現在のびていると言われる中間層(個人的にはインドネシア全体で言えば上流だと思うけど)、月給千ドル以上のマネージャークラスであれば、四輪を買えるようになってきている。



キャンペーンガールに見るインドネシアの美意識

中国のモーターショーは過激な露出で有名だったり、日本のモーターショーでもカメコがはりついたりと、モーターショーと言えばキャンペーンガールがつきもの(ほとんど行った事無いので偏った知識に基づく見解です)。
ムスリム国家だからなのか、そこまで露出は高くない。せいぜい肩を出して、ミニスカートをはくくらい。スカートの下にストッキングはいていたり、そもそも肩も出してない女の子も多かった。胸の谷間を強調するなんてもってのほか、って感じ。
モデルの多くは肌の白い子やチャイニーズ系で、「白い肌=きれい」という美意識が強く現れている。日々ジャカルタで生活していて、この価値観は広く共有されていると感じている。個人的には褐色の肌の女性はとてもきれいだと思うので、もっと広く認められてもいいのにな、、、と常々思っている。

よく見るとブースによってモデルの質が違った。何人かのモデルに日給を尋ねると、各社まちまちだった(ちなみにけっこうレベル高い子でも平均一日4、5千円)。代理店が抜いてるだけなのか、展示会にかけてるコストが違うのか真偽のほどは定かではないが、この展示会にかける意気込みやお金も各社まちまちなのかもしれない。ちなみにトヨタブースはレベル高かったと思う。ぼくの好みだっただけかもしれないので、全く責任は取れませんが。




指紋だらけになった車散見される

観客のマナーがなっていないのか、多くの車に手あかや指紋がめちゃめちゃたくさんついていて、それを拭く係の人が多くのブースにもいた。これは他国のモーターショーでもよくあることなのだろうか。
実は恥ずかしながらモーターショーなるものに参加したのはインドネシアが初めてなので、比べるすべが無い。インドネシアは子どもをばかかわいがりして、しつけをあまりしない傾向がある気がするので、これは近々エントリにまとめようと思っている。


以上、モーターショー参戦日記でした。
どの子が好みだ、とかでもコメントもらえれば嬉しいです。

お祭りみたいな、ジャカルタ州知事選挙 - 手弁当でこそ得られる社会参加の実感

直接投票、ジャカルタ特別州知事選挙

今年の(2012年)7月11日に、州民が直接投票で選ぶ2回目の州知事選挙の投票が行われた。過半数を獲得した候補者がいなかったため、上位2人での決選投票が2ヶ月後の9月20日に行われた。
富裕層の支持を基盤とした保守派の現職ファウジ•ボウォ氏(通称フォケ)と、庶民派で、ソロ(中部ジャワ州スラカルタ)現市長のジョコ・ウィドド氏(通称ジョコウィ)の一騎打ちとなり、ジョコウィが制した。

様々な意味で注目度が高いインドネシアの首都ジャカルタの州知事選挙。さらに庶民派•革新派ジョコウィの台頭など、ホットな話題は事欠かないが、この話題は次の機会に語るとして、今回は投票の制度について考えてみる。

選挙管理委員会が各地域の投票所に資金を割り当て、各自運営する形式だ。1万5059カ所の投票所に、それぞれ350万ルピアを割り当て、地域住民が中心となって設営や準備を行う。面積661平方kmしかないジャカルタ内に1万5000カ所あるってことは、単純計算すると44平方メートル毎に投票所があるってことになる。多すぎだろ。さすが世界随一の人口密度を誇る都市だ。ぼくの自室から会社までの歩いて10分くらいの道中で5カ所くらい見かけたので、それもうなづける。
僕の自室前でも投票所が作られて投票が行われていた。その様子を写真と共に紹介する。

各投票所の様子と気になった点


自室前の道路に設置された投票所。


この狭いとこ通ろうとする無謀な車…。
さすがインドネシア‥。



各投票所の入り口。住所によって場所が分けられている。


候補者の写真が掲載されている投票用紙を受け取り、


候補者の写真のいずれかに穴をあけて、


提出する。


そして既に投票したという証として、小指にインクを付ける。二重投票防止の策だ。


投票したよ、と指を見せる人々が冒頭の写真と上記の写真に映っている。

午後1時に投票は締め切られ、その場ですぐに開票される。運営のおっちゃんやおばちゃんが一枚ずつ、どこに穴があいているかを確認し、記録係に伝え、それが記録されていく。投票所の開票に関する情報はすぐに選管に集められ、数時間後にはだいたいの結果が出る。これがおおまかな投票の流れだ。

この選挙の風景を見ていて気になったことが3つある。ひとつは極めて原始的と行っても過言ではないくらい前時代的な投票の方法。ふたつめは各投票所の規模と手作り具合について。みっつめは選挙の様子がとても楽しそうだったこと。

前時代的投票方法について

気になった事のひとつめ、投票方法について。この投票の方法は、文字が読めなくても行える極めて単純な方法である。識字率の低い国でこの方式がとられるなら話は分かるが、インドネシアの識字率は9割を超える(中央統計局調べ)。

ある方と選挙の話をしていた際に、「この投票方法は昔のモザンビークと同じだ」という話を聞いた。その方は1993年から1995年までモザンビークに駐在していたので、その当時の話。

モザンビークについて簡単に調べてみた。正式名称モザンビーク共和国。アフリカ南東部の共和国。15世紀からポルトガルの植民地となり、1975年に独立。2200万人、一人当たりGDPは896ドル(2008年時点)で識字率は54%。この識字率では、確かに文字を読む必要がある方法では選挙に参加できない人が多くなる。

一方の、一人当たりGDP3500ドル(ジャカルタに限って言えば8000ドル近い)で、9割を超える識字率のインドネシア。モザンビークと同じシステムを採用しているのでは、行政の能力が疑われても仕方ない。町内会のおっちゃんやおばちゃんが投票用紙一枚ずつチェックして行くが、10分ほど立ち見していた中だけでも、どれに穴があいてるのかわからず無効になってしまっているケースが一件あった。じゃかるた新聞の記事でも同じ話が載っていたので、少なくはないはずだ。

正確性や不正防止、開票にかかる時間、コストを考えるとマークシートなどを用いた記号式投票への以降が望ましい。とはいえ日本も自署式という無効票が多く出てしまう方式を採用しているので他国の事を言えた状態ではないが。

各投票所の手弁当っぷりについて

ふたつめの、あまりに小さい各投票所の規模と手作り感について。各投票所は、町内会のような組織が中心となって運営する。

インドネシアには、第二次世界大戦中に日本軍が占領下のジャワで導入した「トナリグミ」(隣組)を起源とする、RT(Rukun Tetanggaの略)、RW(Rukun Wargaの略)という最小単位の住民組織がある。それぞれ「エル・テー」「エル・ウェー」と読み、日本語では「隣組」「町内会」と訳す。住民情報の管理や地域の清掃など、地域活動の中心としての役割が行政から与えられており、生活の中の様々な機会で、このRTとRWが動員の単位となる事が多い。選挙の管理も勿論そうだ。

事前投票ができなかったり、規模の問題で効率が悪いなどいくつか問題点はあるが、市民の手で選挙を作り上げているので、「みんなで選んでいる感」が強いというか、良い側面もあると感じた。投票日の前日夜から設営が行われ、投票日は公的な休みとなる(残念ながら企業によって休みにしないけど)。自分とは無関係だと切り離してただ通り過ぎていくことができる日本の選挙と違って、誰もに関係あって、(手伝わされてだるい、とか含めて)みんなで社会を作っているという実感があるんじゃないかな。

この文章を書いていて、ふと自分の母校の文化祭を思い出した。僕の通っていた高校は、学園祭などのイベントごとの運営を全て学生に任せるという特徴的な文化で、それらのイベントは親御さんや生徒本人、そして外部の人々にもとても好評だった。自分たちで作り上げるものには愛着が湧くし、結果的に運営、参加者がとても生き生きと活動できると、イベントの魅力も高まっていくのではないか。近頃、都立高校の中で倍率が一番高くなったらしく、その魅力は多くの人に認められつつあるのだと思う。

活気のある各投票所を見ていると、無意識に、多くの人が他人事として関心を持てない日本の選挙の風景と比べてしまい、なんだか哀しくなった。ぼくが都市部にしか住んだ事が無いため感じる事なのだろうか。

楽しそうな、活気のある選挙風景

みっつめの、楽しそうな選挙の風景について。州知事選挙は端から見ていて、さながらお祭りのような賑やかで活気のある光景だった。町中の至る所に選挙ポスターが張ってあったり、(上記写真、選挙が終わってすでに3ヶ月以上経ってもまだ散見される)新聞やテレビ、屋外の看板などに候補者の広告が出ていた。応援グッズを勝手に作って、届け出もなしにデモみたいなことをやっている人々もいた。冒頭で名前を出したジョコウィのトレードマークは、いつも彼が着ている赤と紺のチェックのシャツんなのだけれど、似たようなシャツを着てバイクや車に乗り、応援メッセージの旗を振り回しているところを見かけたこともある。

下記ブログによると、クリエイター集団が候補者の1人をテーマに動画を制作し、3日で50万回以上の再生数を叩き出したという。
(アートとクリエイターと政治 http://d.hatena.ne.jp/m_h/20120922/1348304925
日本で暮らしていると「政治」と「アート」という二つの言葉は、極めて結びつきづらい。少なくとも僕の中ではそうだった。でも、現実の社会に影響を与えていくのが本当に力を持った芸術だとするならば、政治はそのテーマとして非常に可能性が大きいのではないか。なんてことを、一連の選挙の風景を見ていて思った。

選挙の風景を日本と比べてみて、いくつか思った事を書いてみた。経済成長の見込みが大きかったり、国全体の平均年齢が極めて低く勢いがある事など、いくつかの違いはある。それにしても、日本の選挙の風景は、なんというか寒々しすぎるような気がした。何が原因なんだろうなあ。

長くなってしまったので、みっつのエントリに分けるべきだったかな。ここまで読んでくれた方、ありがとうございます。

エースを失った話

10月24日の深夜23時50分ころ、事務所に残って雑務をこなす合間にはてぶホッテントリを閲覧していた。手元には辛ラーメン。薄給の食生活において、大活躍しているカップラーメンだ。おもしろそうな記事を片っ端から別タブで開き、ロードしている間にカップにお湯を注ぐ。麺がほぐれたころ、デスクに戻り、ラップトップを覗きこんだところで事件が起きた。というより、事件がもう起こっていたことに気づいた。

上の写真をよく見た方や、日頃ニュースをくまなくチェックされている方、痛ニュー民ならもうお気づきかもしれない。
別タブで開いた最初のニュースが「辛ラーメンの農心、スープから1級発がん性物質検出される」(痛いニュース速報 http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1735847.html) だったのだ。

、、、、、。

あれ、これいつも食べてるやつじゃね?

ていうか今たべようとしてるやつじゃね?

まじですか。

今ちょうどお湯入れてたべはじめるところだったんですけど。

ていうか、うちの会社のスタッフみんな毎日のように食べてるんですけど。

これ食べられなくなると僕の食生活詰むんですけど。

稲生か権藤かってくらいのエースだったんですけど。

なんというか、FF7ゴールドソーサー闘技場で、マテリア全て壊れるをひいたときみたいな、
青単カウンターデッキ使いなのにトレイリアのアカデミーが禁止カードになったときみたいな、
もう既に低迷し始めたオリックスからイチローが抜けたときみたいな、、、。

日本に住んでる人はさ、もっと美味しいカップラーメンたくさんあるし、何よりスーパーとかたくさんあるから自炊すればいいけどさ。ジャカルタは日本食スーパー3つしかないしさ、全部遠いしさ、だいたいのお店夜10時には閉まってるしさ。屋台でもご飯食べてるけど、毎食同じもの食べてたら飽きるし。ていうか仮に買い物できる場所あったとして自炊とかできないし。時間も余力もないし。ていうか技術がないし。

いつもの精神状態なら「第一級発がん性物質って何だろう」とか「他メディアではどんな取り上げ方されてるんだろう」とか調べたんだろうけど、今回はそっと心に蓋をしてとりあえず食べきりました。だってこれ捨てたら食べるものないし、買いにいくのめんどくさいし、ていうか買いにいく場所もないし。

もうひとつ驚いた事。食べてる間に目の前が真っ暗になった。「辛ラーメン食べ過ぎてぼくの身体おかしくなったのか」と5秒くらい焦ったけど。よく考えたら事務所の電気24時に切れるんだよね。まじで一瞬焦った。

これからどうしよっかな←自炊しろ

とりあえず、日本ではあんまり大きな騒ぎになってないみたいだけど、韓国本国や日本ではどんな感じなのかな。

早起きムスリムと、経済成長 - 古くからある教えの合理的な部分と、「先進国化」のバランス

インドネシアに住んで2年目。
断食毎年7月から8月にかけて行われるプアサ(断食)も2度目の経験となった。

プアサ明けのレバラン休暇は、日本で言えば盆と正月が一遍にきたようなありがたい大型休暇だ。ジャカルタは地方出身の人 が多いため、この時期になると人がとても少なくなる。ほとんどのインドネシア人にとって、田舎に帰る年に一度のチャンス。外国人にとっても、帰国かバカンスの唯一のチャンスだ。

今年2012年は、8月18日が断食最後の日(年によって変わるし、直前まで休みがはっきりしないため、業種によって はスケジュール管理が至難)だった。二度目の断食明け休暇もバカンスには行かずジャカルタで過ごしている。去年は何をしていたかなあ、と振り返っている と、ある出来事を思い出した。

昨年の断食明け日の朝、午前4時くらいだったと記憶している。「ふざけんなよいいかげんにしてくれマジでうわあああ あ!!!」。英語で、こんな叫び声がフロアに響き渡った。僕が住んでいるコス(日本で言うアパートみたいなもの)の同じフロアの端っこの方か ら聞こえているようだ。最初は痴話喧嘩かと思い、恐る恐る声の聞こえるドアの方へ近づいた。
ドアの前に立って気づいたが、喧嘩でもなんでもなく、若い男が一人でわめいているのだ。叫び声の内容を聞いていると、ど うやらコスの外の騒音が気になって眠ることができず、ストレスがたまった結果わめいているようだ。しばらく僕がドアの前で立っていると、赤みがかった金髪 の若い白人男性が出てきて、何かを叫びながら屋上に駆け上がっていった。数週間後、その人が住んでいた部屋に新しい人が引っ越してきたので、おそらく彼は どこかに引っ越したのだろう。
気持ちは分からないでも無いけど、実はどこにいっても騒音から逃れることはできない。
というのも、断食月の間は夜明け前の午前3時と夕方午後6時に、近所の子どもが太鼓を叩いて回るのだ。日の出前の食事 サフールと日没後の食事イフタールの時間を知らせるために。各地域にある、モスクを中心としたいわゆる町内会のような組織があり、子どもたちが騒ぎながら 地域を練り歩く。アザーンのような掛け声を上げ、(知らない人にとっては歌に聞こえる)その声に合わせてドラム缶に革を貼付けた太鼓を叩き、爆竹を鳴らす ので、音としては非常に大きい。人によっては安眠することが難しいといえるレベルだ。

これとは別に「アザーン」という礼拝の呼びかけが、毎日朝4時から各モスクのスピーカーで大音量で流される(1日5 回)。これは断食中だけでなく1年中流されるので、慣れるまでは安眠するのも一苦労だ。高級アパートメント(日本で言うタワーマンション)に住む駐在員の 人々には関係ない悩みではあるが。
非イスラム国の外国人にとって、いくつかの風習は受け入れがたいこともある。その一つがこの夜明けのアザーンだ。公的な休みが直前まで決まらないというのも非常に困る。本当に2、3日前まで決まらないこともある。

しかしながら、たまに改めて考えると、その慣習は、非常に理に適った大切なものであるように思うこともある。例えば彼ら は朝4時に最初のお祈りをして、午後7時に最後のお祈りをする。つまり彼らにとっての1日は4時に始まり、午後7時活動終了時刻なのだ。(トルコと並ぶ2 大ゆるいイスラム国でもあるので、夜更かしの人もたくさんいるけど。)

ある日、残業をして夜の午前2時頃に自宅に戻った際に、守衛からスラマットパギ(日本語でおはようおはよう)と言われ、 はっとしたことがある。彼らにとって午前二時はもう朝なのだ。そう考えると、太陽の出ていない時間に、電気という技術を使い、無理矢理活動していること が、急にひどく不自然なことに思えた。地球に住む動物としてひどく逸脱した行動である、、、というと大げさかもしれないが、そんな風にすら思えたのだ。

日の出と共に起きて日の入りと共に活動終了する、という規範を持つ人々にとって、朝四時に起こされることで発狂してしまうという生活様式が定着したのは、人類の歴史から考えればつい最近の話だ。

こんな風に、工業化•商業化社会人間が失った、人として大切な何かを、彼らが持っているのではないかと思わされることがときどきある。
今日、電力をどのように確保していくのか、ということについて全世界で(特に日本では)強く問われているが、例えばムスリム式でビジネスのスタンダードを朝4時から始まれば消費電力が一気に減るのではないか、、、なんてふと思った。完全な余談。

一人当たりの名目GDPが3500ドル近くなり、ある定義では後進国から新興国となった。ジャカルタ首都近郊だけで言 えば一人当たり8000ドルともいわれ、どんどん先進国へと近づいている。この原動力となっている人々は、イスラムの慣習だけではなく、ビジネスパーソン としての慣習も持ち始めている。
大切な仕事がある場合、6時になったからといって帰る人ばかりでは困るし、大事な商談の時間にお祈りがあるといって抜け る人ばかりでは、この経済成長はおこりえないと思う。断食明けの休暇でも働かなきゃいけない人も増えるだろうし、イスラム文化ではタブーである、お酒を提供する飲食店や夜のお店といったサービス業も、拡大する一方になるはずだ。

毎年6%程の成長率を誇る、世界最大のイスラム人口国家インドネシア。経済成長に付随するビジネス慣習とイスラム文化は時に相反することもあるだ ろうが、どのようにバランスをとっていくのだろうか。極度に工業化•商業化されてしまった人類が、地球と共存していくために必要なバランスのヒントを、彼らが見せてくれるんじゃないかなあ、と少し期待している。

(SWY Lounge http://www.swylounge.com/ に寄稿した文章を修正したものです。)