ジャカルタのふろしき。

新卒でインドネシアはジャカルタに流れ着いて2年。日々生活で感じたこと、海外から日本を見て 思ったことなどを綴るブログ。最近JKT48にハマったため、関連の話題多めでお送りしてます。

JKT48 2ndシングル「夕陽を見ているか?」劇場盤特典に見る運営の推し

以前のエントリでも紹介した通り、
http://mori17.hatenablog.com/entry/2013/07/02/221037
7月3日に発売開始されたJKT48 2ndシングル「夕陽を見ているか?」を購入したため開封の儀を執り行った。

劇場盤開封

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CDジャケットとプレイングカード

収録曲は以前も書いた通り、『夕陽を見ているか?』『長い光』『1! 2! 3! 4! ヨロシク!』の三曲。チームJはなぜか公演曲からの収録。チームK3の方は新しい曲をもってきたので、Jも、、、と期待をしていたので正直がっかりではある。もちろんこの曲も好きなんだけど。

特典のプレイングカード

特典は9月に開催される握手会のチケット一枚とプレイングカード。プレイングカードって何だ?と思っていたけど開封してみると、『River』のときにも封入されてたトランプをモチーフにしたトレーディングカードのことだった。

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プレイングカード4枚

このプレイングカード、実は非常におもしろい意味が込められているとも読み取れる。

ここからが本題。
メンバー総勢51名それぞれに、クラブ•ハート•スペード•ダイヤのモチーフと、エースからキングまでの数字どれかが割り当てられている。そしてメロディーやナビラなどの人気メンバーはエース、研究生は数字の2や3が割り当てられている。
ポーカーのルールに見立てて、運営の見積もった人気の順番が反映されていると考えても不自然ではない。

現状判明した割当は以下の通り。

■クラブ
エース  ナビラ
4    デリア
9    キナル
クイーン あきちゃ
キング  シャニア

■ダイヤ
エース  フェ
2    ノフィンタ
3    ウティ
4    オクティ
5    ディアスタ
7    アチャ
10   シンディグラ
クイーン はるごん

■スペード
3    ラヘル
8    ナディラ
ジャック デラ

■ハート
エース  メロディ
3    デナ
4    ファンか
10   リディア
ジャック ノエラ

ジョーカー フィニ

カードフルコンプは難しいので、情報のみでも誰がどの番号に割り当てられているのかを調べてみる予定。

魚を与えるのではなく、魚の取り方を教えるべき、という話。

過去の日記(日付は2010年)を読んでいて、ちょっとおもしろかったので書いてあったことを抜粋。てにをはを直したのが以下の文章。
意外と色々考えていたんだな〜、と少し嬉しくなった。


三鷹の市民センターで開催された佐野章二さんの講演会に参加したときの話。
魚を与えるのではなく、魚の取り方を教えるべきだ。そう考えてビッグイシュー日本版始めた、という佐野さんの言葉は印象的だった。

「飢えた人々に魚を与える」炊き出しや寄付などは大きな貢献だが、その場限りの対処となってしまう。佐野さんはホームレスを哀れみ救済の対象ではなく、ビジネスの対等なパートナーとして考え「どうやって魚を獲るかを教える」事業を始めたのだ。

ビッグイシューとはホームレスの実が販売できる雑誌で、一冊300円の内販売者に160円が入る仕組みだ。1日30から40冊売ることができれば、少しずつ貯金をして敷金をつくり、賃貸アパートを借りることができる。そして住所があるとハローワークに通って就職活動をできる。こうして5年間で80人程度が自立までこぎつけているという実績がある。

さて、一昨年実施された年越し派遣村ではその逆の「ただ魚を与えている」光景を見た。大規模な炊き出しを行う際、運営スタッフだけでなく派遣村の村民も一緒に食事の用意と片付けを行う方針だった。与えられるだけでなく、主体的に運営に取り組んでもらうためだ。しかしふたを開けてみると、どこからともなく表れた大勢のPTAのようなおばさんたちがてきぱきとすべての仕事をこなしてしまった。自前のゼッケンをつけて腕まくりをした張り切りようだった。

彼女たちは報道をみて自分にできることを考えてボランティアに参加したそうだ。その行動は立派で尊いものだ。しかし例えば簡単な料理を教えてもらうことのほうが、結果的には自立の助けになるかもしれないよな〜と思って眺めていた。

近年日本でもNPOの数が増え、ボランティアに参加する人も増えている。善意の行動から一歩踏み込んで、何が対象者のためになるのかを考えることができると、より活動が効果的になるかもしれない。

冬の東京で野宿した話。

メモを参考に、過去の経験を振り返る。
今回は冬の東京で野宿した話。 

大学5年生のときのこと。年末年始大晦日から4日間、新宿中央公園で、路上生活者支援団体らによる越年行動に参加した。路上生活で最もつらい時期を乗り切るための活動。様々な援団体の連合で開催され、炊き出しの他に医療相談などを受けるブースも設置される。
夜は広場にブルーシートを何枚も敷いて皆で集まって寝る。ぼくにとって野宿は初めての体験だった。

集まった人数はうろ覚えだけど200人くらいいたと思う。普段の炊き出しの他に、夜11時頃から年越しそばの配給を始めた。ぼそぼそのそばにお世辞にもおいしいとはいえないものだったが、みんな喜んで食べていた。年を越すということを実感できる、いわゆる文化的な活動として重要なんだろうな。

31日は炊き出しや寝床の準備などで夜通し起きていたため、1日の夜が初の野外就寝となった。夜の10時頃、炊き出しやボランティアスタッフとして出会った仲間と語ることに疲れ、シートの上に横になった。ビニール一枚を隔てたアスファルトが体温を際限なく奪っていく。ものの10分もしないうちに体を起こした。山岳用のダウンジャケットとカシミヤのセーターに、下半身はタイツと厚手のジーンズを着込んでいたがまったくだめ。焼け石に水ならぬ野宿にダウンジャケットだった。

ベンチには手すりがついており、横になっていることすらできない。しかたなくベンチにうずくまっていた。手すりは公園で就寝する人を追い出すためにつけられたという話を聞いたことがある。なぜその予算がもっと建設的に使われないのか。

風が吹くたびに身を縮める。公園の時計をぼんやり見上げると、針が12時の文字をさしている。手足の感覚が全くなかった。腕時計に目をやるたびに絶望する。何度見ても、最後に見たときから5分も経っていない。何分間時計を見ないでいられるか何度も試したが、最高記録は17分だった。一分が永遠のように感じられた。

3時頃、寒さを紛らわすため煙草を吸っていると一人の男性が話しかけてきた。いろいろと身の上話をした中で、印象的な言葉があった。「4日までは寝床を探さずに済んでありがたい」という。一人で寝ているとまれに襲撃されることもあり、常に何かにおびえている必要があるのだ。しかしビニール数枚敷いただけの環境を、ありがたいと言わせてしまうのってひどい社会だ。

僕の場合、なんとか凍える思いを耐えることができたが、それは家に帰ればあったかい風呂に入ることができるからだった。「もう少しだけ我慢すれば、家に帰って熱い風呂にはいるんだ」という思いで何とか乗り切れただけ。そのような希望もないまま、ずっと野宿し続けるのってどんな気持ちなんだろうか。想像ができない。

この経験を機に少し生存権について調べてみた。戦後の日本では、憲法25条に基づいて各種の社会保障制度がつくられてきた。しかし住居保障に関してはその理念も制度もないようだ。わずかに公営住宅があるも全体の約5%に過ぎない。東京都に至っては石原都政になってから一件も建てられていない。政策の上でも「いかに居住するか」ではなく「いかに持ち家を買わせるか」というように、住居は経済的な側面から論じられてきた。

生存権としての「居住の権利」をしっかりと認識されるべきだ。公営住宅や住宅手当などの保障を手厚くしなければならない。野宿ほど文化的な生活から遠い行為はないと、本当に短い間ながら野宿をしてみて思った。

JKT48 2ndシングル「夕陽を見ているか?」明日7月3日発売決定

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写真:公式Facebookページより

スラバヤで先行発表からの、今日詳細発表

6月30日(日)のスラバヤコンサートで、JKT48セカンドシングル『夕日を見ているか』7月3日リリースが、発表された。スラバヤ会場で出会ったファンによると、どうやらインドネシアでは「リリース」という言葉は必ずしもCD発売を意味していないとのことだった。PVの初公開あたりが相場で、コンサート中にサプライズ発表ではないかと推測していたのだけど、見事にはずれ。
今日の昼頃に公式Facebookページで7月3日と4日のコンサートに合わせて発売されることが発表された。

以下が先行公開されたPVの一部。


JKT48 2nd Single "Yuuhi wo Miteiruka? - Apakah ...

選抜メンバーはチームJとチームK3混成メンバー。

JKT48 2ndシングル「夕陽を見ているか?」選抜メンバー。チームJからメロディー、シャニア、ナビラ、フェ、はるごん。これは順当な人選かと。
チームK3からフィニ、シンフィア、ナオミ、ロナ、ナタリアの計10人。
ナタリアは意外な人選で大抜擢。写真写りが悪くて損してるメンバーなので、動画でいろんな人に見てもらえるのはいいチャンス。個人的にはノエラ入れてあげてほしかったなあ。

収録曲と特典

【日付】
7月3日(水)12:00 - 21:00
7月4日(木)10:00 - 21:00

【場所】
スナヤンテニスインドア(ジャカルタコンサート会場)

【内容】
『夕日を見ているか』劇場盤

◆収録曲
1.夕日を見ているか
2.長い光
3.1! 2! 3! 4! ヨロシク!

◆特典
1.個別握手会チケット一枚
2.プレイングカード

◆価格
4万ルピア(400円くらい)

『夕日を見ているか』通常盤

◆収録曲
1. 夕日を見ているか
2. 長い光
3. 1! 2! 3! 4! ヨロシク!
4. ビバ!ハリケーン!

◆特典
1. DVD『夕日を見ているか』PVとメイキングビデオ収録
2. 選抜メンバー生写真
3. チームK3メンバー生写真(先着1000枚限定)

◆価格
8万ルピア(800円くらい)

収録曲ほとんどがチームKの歌。チームK3推しとしてこれはテンション上がる!
『1! 2! 3! 4! ヨロシク!』は先日のK3初舞台の際に披露されて大好きになった曲だし、『 ビバ!ハリケーン!』は僕の太陽公演で一番好きな曲。なんという俺得。

劇場盤特典のプレイングカードっていうのが謎だ。
仕事終わり次第購入して内容をアップするので乞うご期待。
チームK3メンバー生写真はコンプしたいな、、、と思いつつ通常盤封入という障壁が。。劇場盤だったらたくさん買うのにな。

日本で「学生起業」がもてはやされる理由

学生起業。

今日では、言葉上の起業であれば誰でも会社を作れるようになった。

新卒の就職率悪化にともない「就職できなければ起業すればいいじゃないか」という極端な話が聞かれるようになったり、大学生のときにはよく耳にした言葉だ。

親の扶養のもと自分のお小遣いだけ稼ぐ大学生にとって、地に足の着いた「働くということ」のイメージをもつことは難しい(ぼくもそうだった)。

彼らがキラキラした目で起業家の人々に話を聞いたり質問しても、「起業家」という地位が欲しかったのではなく、「解決したい世の中の問題があって、その方法が自分で起業することだった」だけだ、とか身も蓋もない答えが返ってきたりする。

上記のような学生が「学生起業」に憧れてしまう理由はわかるが、マスコミや報道機関ですら学生が起業したということで、事業の内容を過大評価してしまう場合がある。

それはなぜか。

大学生の年齢分布を見てみると、18歳や二十歳そこそこで入学する人が圧倒的に多い。

海外では、大学生の年齢分布は多様で、いい話的に消費される高齢にも関わらず大学に入学するパターンや、一度フルタイム勤務を経てから大学に通い始めるパターンなど様々。ようするに「学生=若者」といえる状況ではないのだ。

勘のいい人はもうお気づきかと思う。「学生なのに起業した」という言葉を使った場合、その学生は必ずしも若者ではない。

極端な話、堀江貴文氏がもう一度大学に入学して在学中に会社を作った場合、「学生なのに起業した」という状況になる。それってもてはやすべきことだろうか。たぶん違う。評価されるのは起業の内容であったり、彼のキャラクターが注目されるのであって、「学生なのに起業した」ことが評価される訳ではない。

もちろん、「若いのに成功してすごい」「若いのに大きなチャレンジをしてすごい」という価値観は日本以外でも共有できる。例えば二十歳の大学生が何らかの起業をした場合、「若いのにバイタリティがあってすごい」という評価は成り立つと。ただ、そこで勘違いしてはならないのは、「学生なのに起業した」ことが評価された訳ではないということ。

日本で「学生起業」がもてはやされる状況は、「学生」という言葉が「若者」とほぼ同義になっているためである。これは単一な社会構造を象徴する出来事といえる。

「学生」と「若者であること」を勝手に結びつけて話すのは、完全にある社会グループでの勝手な前提である。もちろん日本のことだけど。

こんな感じで、勝手に前提を作ってはその理解を他者に強要するという現象が、大小様々なグループ単位で行われている。上記のように国家単位で前提をつくっていることもあるので、気をつけないといけない。

異国にいるとそれが強く感じられることが多いので、気づいたときにはこうやって書き記していくことにする。

ちなみに、これは予防線を張ってる訳ではないけど、何にも考えずに大学生活を謳歌していたぼくとしては、若くして野望をもって粛々と努力してる人を、事業内容問わず尊敬してる。というか何らかの努力を継続できるすべての人を尊敬している。

JKT48スラバヤコンサート遠征

昨日からインドネシア第二の大都市スラバヤにきている。
JKT48のコンサートを見るためだけに。いわゆる遠征というやつ。
距離感で言うと東京から大阪まで遠征してる感じだろうか。

数年前にオフ会で地方遠征をするオタと話していて、「本物のオタは違うな〜」なんて思ってた。そのときはまさか海外でまで地方遠征をするとは夢にも思っていなかった。

4時からコンサートのため、会場に早めに入って物販に並んでいた。するとジャカルタのリバー個握で出会った青年と再会し、彼の友人4人と仲良くなり、非常に楽しい時間を過ごせた。

今はライブ終わりで別会場へ移動し、ミート&グリートイベントが始まるのを待っている状況。別会場への移動も会場で仲良くなった友人に送ってもらい、ホテルをとっていない旨を伝えたところ、そのうちの一人が泊めてくれることになった。

【セットリスト】
ヘビーローテーション
会いたかった
ごめんねサマー
ポニーテールとシュシュ
Baby×3
君のことが好きだから
大声ダイヤモンド
River
飛行機雲
jkt参上

【参加メンバー】
メロディ
ナビラ
アヤナ
サンジュ
リスカ(はるかの代わり)
ガイダ
ソニア
ジェジェ
シンディ
リカ
レナ
フェ
デリマ
ゲビー
センディ
ディク

【特別ビデオ】
「夕日を見ているか」 7月3日リリース (たぶんpv解禁)

とりあえず短いレポ。

海外では「年齢を尋ねるのは失礼」なのではなく「年齢を尋ねる理由がない」

「海外では○○なのに日本では××」などと得意げに語る人が時々いる。そういった話の中で頻出話題の一つであるのが、エントリの題名でもある「海外では年齢を訪ねるのは失礼に当たる」だ。「相手の年齢を訪ねたがるのは日本人の悪いくせ」という話が付け加えられるパターンが多い。

端的に言うと、国籍問わず年齢を尋ねてくる人は存在する。欧米、アジア、中国、中東、アフリカなど、各大陸出身の人と話したことがあるけれど、人によるとしか言えない。どの文化圏であっても、あまり趣味のいい言動とはいえないので、日本人だけが持っている悪い癖というわけではない。
ただ、その中でも日本人は年齢を尋ねたがる傾向は強いというのは事実である、というのが個人的な結論。それには大きな理由がある。

日本人はなぜ年齢を尋ねたがるのか。

その理由として、日本が「年齢がわかれば、相手のことがだいたいわかる」社会であることが挙げられる。年齢が分かれば、ある程度の社会的地位や所得などの身分を類推できるのだ。年齢と身分情報の相関性が強いのだと思う。義務教育が完備されている。年齢が分かればどんな教育を受けて、どんな価値観をもっているのかがわかる。格差がそこまで大きくない。

「海外で年齢を尋ねるのは失礼」というよりも、正確に言うと「年齢を尋ねる理由がない」ということになる。年齢から得られる副次的な情報が少ないためだ。

日本という国は、世界的に見て補足率の極めて高い、義務初等、中等教育により、国民のほとんどがある程度の教養を持ち合わせている、希有な国だ。均質な教育が施されているという前提が成立する状況下では、国全体で一定の「常識」が共有できる場合がある。受ける教育が均等であるため、価値観の違いは「世代間によるギャップ」が一番大きく認識される傾向が強い。

さらにここ40年ほどの間、日本では年功賃金性が主流であったため、年齢は所得を判断するための大きな判断材料にもなる。
日本人が初対面で相手の年齢を知りたがるのはこのためだ。年齢というファクターが、相手のアイデンティティや価値観を判断するために、ある程度重要なのだ。

ところが、世界中で200近くある国のうちのほとんどでは、社会階層ごとに生活環境が圧倒的に異なるため、国全体で共有できる常識なんてありえないわけである。そのため、年齢というファクターは、相手のアイデンティティや考えを予想するヒントにはなり得ないのだ。

社会階層や所得層によって、常識はまるで違うものになる。例えば同じ50歳でも、そこそこの規模の企業でホワイトカラー職を30年勤めてきた人、会社を経営している人、きわめて低賃金な職に就いている人、物乞いなど、、、

相手が50歳だからといって、階級によっては話が全く通じない場合があるのだ。
極端な話、物乞いの人にビジネス習慣の常識が通じるはずもない。

3年ほど前に、内閣府主催の国際交流事業、世界青年の船に参加し、世界各大陸からの、計13カ国の参加者と共同生活をした。二ヶ月弱一緒に生活して、年齢を尋ねて驚くことが多々あった。とても大人びている人でも実は年下だったり、とても子供っぽいのに10歳くらい年上だったり。見た目で判断できないことが多かった。そして、事業が終わってから参加者名簿を眺めていて気づいたことがある。仲良くなって今でも連絡を取り合う人は多いけど、年齢を知らないまま友達付き合いをしていたのだ。これはまさに「年齢を尋ねる理由がな」かったことに起因している。宗教観や恋愛観、結婚観、仕事観などの内面的な話をしたきわめて仲のいい相手の年齢をFacebookで知ったこともあった。相手の価値観やキャラクターを知る必要はあっても、年齢を知る必要にせまられることがほとんどなかった。

世界全体の人口で見ると、年収300万以上という数字は上位2%の数字である。日本を見てみると、人口の70%が年収300万円を超える。日本国民の7割が世界全体の上位2%なのだ。それをふまえて日本社会を見渡してみると、社会階層の多様さという点では、きわめて均質的であるといえる。あとは年齢さえ聞けばあるていど相手の情報がわかる、なんて簡単な社会構造なのだろうか。

結論をいうと、「海外では年齢を訪ねるのは失礼」という状況も勿論あるが、何より「年齢を尋ねること」に何の意味もないのだ。


完全に蛇足だけど、恋愛においてもそう。「年上の人の方がタイプ。だってしっかりしてるんだもん。」という言葉は日本以外では何の意味も持たない。社会階層が全然違えば、年上だからといってしっかりしてる担保にはなり得ない。

文化によって、話し相手の価値観を知るために重要なファクターは違う。異文化の人と会う可能性がある場合は、事前に最低限の知識は身につけておきたい。

蛇足2つめ。ちなみにインドネシアでまず聞くべきなのは「宗教」だ。相手によって何が失礼に当たるかが違うし、ただ一緒に食事をするにしても、店選びに気を使う。まあ見た目でもわかるので、身なりでの判断は重要。外見から人を判断することの是非について、また別のエントリをアップします。

◆年収を入力すると自分が世界人口の中で、何番目なのかが見えるサイト
http://www.globalrichlist.com/
年収を入力すると、世界人口のうち上位何パーセントあたりにいるのかが分かる

◆参考にしたデータ
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-tyosa/k-tyosa06/2-1.html
厚生労働省:平成18年 国民生活基礎調査の概況 
図7 所得金額階級別世帯数の相対度数分布

五年前のデータだから変わってると思うけど、とりあえず参考にした数字。