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ジャカルタのふろしき。

新卒でインドネシアはジャカルタに流れ着いて2年。日々生活で感じたこと、海外から日本を見て 思ったことなどを綴るブログ。最近JKT48にハマったため、関連の話題多めでお送りしてます。

「美の民主化」を押し進めた革命家たち

エッセイ 読んだもの

印象派で「近代」を読む 〜光のモネから、ゴッホの闇へ』の要約と、読んで思ったこと。ちなみにこの本を読むまでは知識ゼロなので、訂正などあれば是非お願いします。

 
Q:帯の絵の作者は誰でしょう。

 何々派の誰それがどんな絵を描いてるとか全然知らないけど、ちょっと気取ってデートで美術展に行ったことが数回ある。そんなぼくでも「印象派」という言葉は知っていて、勉強したらデートで女の子にちょっとくらい解説できるかな、と思って読み始めた。
 
 そんな軽い気持ちで読み始めたところ、細かいうんちく情報よりも、印象派の画家たちの生き方に引き込まれ、とても強いインスピレーションを受けた。教育課程で世界史をしっかり学習した人にとっては自明のことかもしれないが、印象派の画家は既存の権威に反逆した革命家だったということを初めて知ったのだ。
 何らかの活動に力を入れているが、周りから認められない。そんな憤りを感じる人は多いと思うが、あの有名な印象派の画家たちも最初は認められなかったのだ。そんな風に思うと、少し勇気がわいてくる。
 
 日本人は権威に弱く、無名の新しいものを認めない傾向がある。そんなことを感じていた時期があったけど、なんのことはない、どこの世界もいつの時代も権威主義がはびこっているのだ、ということがわかった。西欧世界の文化の中心フランスも例外ではなかったのだ。

印象派とは何か

 この本の導入部分はこうだ。

まず、印象派とは何か?「一八六〇年代からフランスにおこった絵画運動。特徴としては、主題より感覚、形態より印象を重視し、絵具」を混合しないことによる明るい色彩と、自在で魅力的なタッチ(絵筆の跡)を残して、光あふれる自然を賛美。マネに大きな影響を受けた若手たち ー モネ、ドガ、ルノワール、モリゾ、ピサロ ー を起点とし、セザンヌ、スーラ、ゴッホ、ゴーガンへと発展」これがだいたいの共通認識と言っていいでしょう。

 これは、非常に教科書通りでイメージが浮かびづらい。この本を読んだだけの薄っぺらい見識ではあるが、わかりやすくまとめると印象派の画家たちの功績はふたつあるといえる。「美の民主化」を押し進めたこと、そして「歴史の証人」として資料を残したこと。この二つの功績について書いてみる。

美の民主化

 印象派の台頭までは、美術とはごく一部の特級階級や、美術学校の教授やアカデミー会員のものだった。お金持ちが絵を発注し、購買するためそれは当然と言えば当然である。当時一人前の画家として認められるためには、年一度開催のサロン(フランス官展)で入選するしかない。そんな中、落選してばかりの若手画家がグループで出資をして市内に会場を借り、1874年に展覧、即売会を行った。この無名会第一回展は一ヶ月間で集客はわずか3500人(サロンは40万人)と惨敗するも、歴史的には大きな一歩だった。これは後に第一回印象派展として知られるようになる。この会には印象派の命名の元となったモネの『印象-日の出』などが発表された。しかし、評判は散々だった。

 でもリアルタイムでこれを見た、とりわけ伝統を重んじる人々にとっては、「こんなものは絵ではない」。
 まさに悪評さくさく。中でもルロワという評論家は新聞で、「この絵はいったい何を描いたのか」「描きかけの絵だってこれより完成度が高い」「さぞかしここにはたっぷり印象が入っているのだろう」と揶揄し、展覧会に出品した画家たちを「印象派」と読んだのです。つまり印象派とはーバロック(歪んだ真珠)と同じくー最初は嘲りだったわけです。

 美術学校の教授やアカデミー会員が既存の権威から認められないと日の目を浴びない。彼らの、アカデミーでの基準とはどのようなものか。それがわからないとここまで罵倒する理由が見えてこない。著者が『もしかすると眼の歓びより「勉強」の要素が強かったのかもしれません。』と書いている通り解釈すると、もともと絵画を含む美術は楽しむものではなく教養の一つだったのだと考えられる。神話や歴史について造詣の深い人々が、比喩表現を込めて表現をし、知識を総動員して読み取る。自分がどれだけ研鑽を積んでいるかを勝負し合う、というような楽しみかたが主流だったのではないか。そしてその楽しみ方を大衆に押し付けていた。
 そう考えると、彼らにとっては印象派の絵は受け入れがたいことがわかる。一切の解釈をする必要がなく、描く対象も神話のモチーフなど高尚なものではなくて市井の人々だ。それまで絵の楽しみ方を根本から破壊するものであったことは間違いなく、その立場から見れば確かに受け入れがたい。そんなアレルギー反応が権威からの酷評として現れたのだろう。
 
 絵画が限られた人々のみの間で楽しまれていた時代はそれでよかったのかもしれないが、民主化が進み、多くの人が絵画などの芸術に触れる余裕がでてくると、状況が変わってくる。印象派の絵を見て、「偉い先生たちはああいってるけど、おれはこっちの方が好きだなあ、、、」という人が増えていき、無視できない数になっていく。小難しいことはよくわからないけど、見ていて気持ちがいい。既存の権威からしたら絵の楽しみ方は「どれだけ高尚なモチーフを読み取れるか」だけれども大衆から見れば「見ていて良い気分になれるかどうか」が楽しみ方だ。そうなれば印象派の絵が評価を勝ち取っていくのは至極当然の帰結である。
 
 既存の権威が「わしらが美しいと言ったら美しい」という構造から「みんなが美しいと言ったら美しい」という構造になったのだ。この頃から、絵画はアカデミーやサロンの中だけで完結するものではなく、大衆に開かれたものになっていく。各々がそいれぞれの楽しみ方をもてるようになった。印象派の台頭とは、「美の民主化」であり、ポップス文化の幕開けに他ならなかったのだと言えるだろう。その時代の一歩先を行っていたのが、印象派の画家たちだった。

 この辺の時代背景を理解するには『Dr.コトー』などを書いた漫画家山田氏の『マッシュー時代より熱くー』を読むと理解が進みやすい。この漫画の設定は、サロンが幅を利かせているまさに印象派と同じ時代。主人公は無名の画家で、サロンには認められないが、徐々に支持者を増やしていく様子を描いている作品だ。
 Jコミで無料で読めるようにもなっているので是非。
 http://www.j-comi.jp/book/comic/4281
 ぼくは単行本を途中まで買ったけれど全11巻のうち8巻までしか手に入れられなかったので、Jコミのおかげで非常に助かった。

 余談ではあるが、この一連の歴史の流れから、非常に残念ではあるひとつの真理が読み取れる。それは、誰しもいったん権威の側に回ると、権威主義に染まってしまうこと。
 一時は反逆の革命家であった印象派の画家の一部は、権威の側に回ると、嵩にかかる態度にでてしまったようだ。印象派の名声が高まった理由のひとつに、新大陸アメリカで彼らの絵画が大いに売れたということがある。いわば逆輸入の形で海外で認められた事が、国内での評価を高めたのだ。(日本でも、海外で認められると手のひらを返したように評価が高まることがしばしばあるが、これは日本だけの現象ではないようだ。)
 ところが、新大陸アメリカの人々を無学な連中と決めつけ、軽んじた。アメリカに自作購入されたくないと公言までした画家もいたのだ。
 かつて自分たちが認められなくてつらい思いをしていたのを忘れてしまうのか、、、権威を持っても謙虚な部分は持っていたいよな、って権威になる予定ないから心配なかった。

歴史の証人とは

 印象派の画家たちは小難しい解釈から絵を解き放ち、感じるままに鑑賞されることを望んだ。自然の美しさを感じるままに描く、というのがおおまかな特徴であるため、描かれている対象が歴史的資料になりやすい。その時代の風俗や文化が克明に描かれているのである。
 
 1789年の革命以降、ナポレオン3世独裁や普仏戦争など、王政復古に戦争や内乱を経て民主化が急激に進んでいく時期は、印象派の黎明期と重なる。このような歴史を振り返る際に、印象派の絵画はとても重要な資料になる。印象派の画家たちは、かれらの時代、近代を描いた。をその意味では、彼らは歴史の証人であると言えるだろう。
 
 そして、彼らがどのような絵を描いて、どのような歴史を切り取ったのか。またこの動乱期にはどのような変化が起こったのか。それはぜひこの本を読んでいただければ、詳細に渡って説明してある。新書サイズではあるが、見開きをいっぱいにカラーで絵が掲載され、説明がされているページもたくさんあるので、予備知識がなくとも楽しめるようになっている(下記画像参照)。眼を歓ばせるだけでなく、様々な情報を読み取ることができるようになれば、絵画鑑賞はきっとより楽しくなるはずだ。

 ちなみに、帯に大きく印刷されている絵はクロード•モネの『散歩、日傘をさす女性』でした。