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ジャカルタのふろしき。

新卒でインドネシアはジャカルタに流れ着いて2年。日々生活で感じたこと、海外から日本を見て 思ったことなどを綴るブログ。最近JKT48にハマったため、関連の話題多めでお送りしてます。

TOEFLのすすめ - 能動的思考力が問われる試験

 TOEFLを受ける事(もしくはTOEFLで高得点をとる訓練をすること)で身に付スキルがある。スキルというより姿勢と言った方が正しいだろうか。それは「どんなに拙くとも、自分の意見をもち、その意見をある程度整理して形にする」技術だ。これはTOIECなどで計られる単語力だとかリスニング力なんかとは比べようもないくらい必要なもの。異文化と接する際に最も必要な姿勢と言っていい。長くなるけどそんなことを書いてみたい。

 大学生のときに米国留学をしたいと思っていた時期があって、TOEFLの試験を数回受けた。始めて受けた日の衝撃を憶えているわけではないが、スコアは今でも憶えている。IBT120点満点のうち、23だった。どちらかといえば英語は得意だと思っていたので(受験英語レベルの話)少しショックだった。

 その後英会話スクールに通い、少し訓練した後に受けてみるとスコアが三倍以上になった(確か70くらいだったと記憶しているが、細かい数字は憶えていない)。まあ元が低い点数なので全く胸を張れる点数ではない。

 正直、意思が弱いことにかけては自負があるので、継続的に訓練できたわけではない。そのため、リスニング力や読解力、及び単語力も上がってはいなかった。にも拘らずスコアが三倍になった。それには理由がある。

どんなに拙くとも、自分の意見をもつ。
その考えた事をある程度整理して形にする。

 この二つのことが最低限できるようになったのだ。この二つのことの重要さを説明するために、TOEFLの説明を少しする必要がある。

 TOEFLには四つのセクションがある。リーディング、リスニング、スピーキング、ライティングの各セクションが30点満点で、合わせて120点が満点。リーディングとリスニングは説明するべくも無く、ただただ試験を受けていればいい。設問のテーマがアカデミックな要素強のため(学部留学用の試験なので当たり前)聞き慣れない単語が多い他は、日本人にとってもなじみのあるスタイルの筆記試験だ。

 ところがスピーキングとライティングでは、少々勝手が違う。正解や不正解はなく、自分の意見を求められるのだ。ただ受け身で試験を受けているわけにはいかない。ここで多くに日本人がつまづくと思う。ぼくも例に漏れずそうだった。何かを与えられ、何らかの基準に沿ってその正誤を判断する。それに慣れて来た人々にとって、何の基準もない質問に答えるというのは意外と、そしてとても難しいのだ。大学までとりあえず何も考えずに来た人が、急に自分の人生を考える必要が出て困るのに少し似ている。

 試験によって問題は様々だが、場合によっては本当にしょうもない設問もある。
例えば「あなたの好きな休日は何ですか」「あなたが合いたいと思う有名人は誰ですか」などがそれだ。「だから何だよ」というような設問に答える必要があるのだが、そんなこと考えた事もないし、、とかやってるうちに制限時間終了。しょうもなかろうが、答えられないのは意見がないという事。0点だ。
最初は、そんなことに答えられなくてもいいだろう、と思った。しかし、くだらない質問にも答えることができないのに、重要な質問があったときに理路整然と自分の意見を述べることができるだろうか。それは難しいだろう。

 ぼくの受験時にはなかったが、「なぜ虐待をしてはいけないか」「なぜ人を殺しては行けないか」「拳銃を合法とする事の是非」なども設問としては十分あり得るだろう。日本的なテストであれば、「教科書に書いてある、虐待をしてはいけない理由もしくは認定用件を憶えて、試験で聞かれる」とかそんな感じだろうか。「そんなの当たり前だろ」で済まされるかもしれないことを、ゼロから説明する必要がある。どんなに拙く、"当たり前"な意見だとしても、常に前提はない。憶えた事をただ吐き出すのではなく、自分の意見を表明する必要がある。そしてそれは多くのコンテクストを共有し、多くの情報を"常識"や"当たり前"と処理することのある日本人には難しいことだ。

 様々な民族が入り乱れる米国では、コンテクストを共有できる相手が限られる。常に自分とは全く違う文化の人々と相対することを想定する必要がある。「どんなにくだらない質問でも、どんなに高尚な命題でも、質問としては等価であり、端的に答える必要があり、答えられない場合は意見がないと見なされる」。そんな精神が反映された試験であり、なるほど日本人には難しい試験である。

 ここで「どんなに拙くとも、自分の意見をもつ」「その考えた事をある程度整理して形にする」この二つが必要となるのだ。変な答えをしてしまったら恥ずかしい、と躊躇してしまったら先には進めない。意見がないのが最も恥ずかしい事だ。質は問わず、自分の意見を持つ事が最初のステップだ。

 では次のステップ、整理して他人に伝えるためにはどうすればいいのか。様々な方法があるだろうが、ぼくが選んだやり方はこうだ。最初に結論を述べ、簡潔に三つの理由を述べる(いくつでもいいのだけれど、三つが一番しっくり来るし、試験対策としては無難)。こんな感じ。

【結論とその理由を簡潔に】
【理由1】
【理由2】
【理由3】
【再度、結論とその理由を簡潔に】

慣れてしまえば極めて単純な話だが、この型をもっているのと、いないとでは大違い。これができるようになればどんなに低くとも点数がつく。意見を表明できる。でも、これができないと、一生0点のまま。0点というのはどういう事かというと、コミュニケーションが成立しない。自分の意見を言えないのだから当然だ。

 英会話能力の十分な人の中にも、英語ができないと思い込んでいる人々が少なからずいるのだと思う。そのようなケースでは「自分の意見を持つ事ができない」「その意見を端的に説明することができない」の二点に集約される。逆に言うとこの二点において不十分であれば、どれだけリスニングや発音の訓練をしても、コミュニケーションをとることはできない。

 近頃「英会話力よりも、自国の文化などの教養を深める必要がある」。こんな言説を目にすることが増えた。グローバル化によって「英語って勉強した方がいいよね」という圧力が高まり、英語を勉強したくない人にとって優しい言説であるこの手の本がそこそこ部数をのばしているのだと思う。これには一理あるけれども、どんなに知識や教養を身につけても、相手に伝えることができなければ、それは存在しないことになってしまう。
 
 ぼくは留学経験があるわけではなく、海外旅行もほとんどした事がない。それでも現在、様々な国の人とまがりなりにも英語でコミュニケーションをとることができる。それにはTOEFLを受けるにあたって身につけた「どんなに拙くとも、自分の意見をもつ」「その考えた事をある程度整理して形にする」姿勢が役に立っているのかもしれない。

 リスニングとか単語とか、訓練してるのにコミュニケーションに結びつかない人がもしいれば、TOEFL受けてみると、その理由が分かるかもしれない。「どんなに拙くとも、自分の意見をもつ」「その考えた事をある程度整理して形にする」姿勢を身につければすぐに「いわゆる英語ペラペラ」になれるはず。