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ジャカルタのふろしき。

新卒でインドネシアはジャカルタに流れ着いて2年。日々生活で感じたこと、海外から日本を見て 思ったことなどを綴るブログ。最近JKT48にハマったため、関連の話題多めでお送りしてます。

お祭りみたいな、ジャカルタ州知事選挙 - 手弁当でこそ得られる社会参加の実感

直接投票、ジャカルタ特別州知事選挙

今年の(2012年)7月11日に、州民が直接投票で選ぶ2回目の州知事選挙の投票が行われた。過半数を獲得した候補者がいなかったため、上位2人での決選投票が2ヶ月後の9月20日に行われた。
富裕層の支持を基盤とした保守派の現職ファウジ•ボウォ氏(通称フォケ)と、庶民派で、ソロ(中部ジャワ州スラカルタ)現市長のジョコ・ウィドド氏(通称ジョコウィ)の一騎打ちとなり、ジョコウィが制した。

様々な意味で注目度が高いインドネシアの首都ジャカルタの州知事選挙。さらに庶民派•革新派ジョコウィの台頭など、ホットな話題は事欠かないが、この話題は次の機会に語るとして、今回は投票の制度について考えてみる。

選挙管理委員会が各地域の投票所に資金を割り当て、各自運営する形式だ。1万5059カ所の投票所に、それぞれ350万ルピアを割り当て、地域住民が中心となって設営や準備を行う。面積661平方kmしかないジャカルタ内に1万5000カ所あるってことは、単純計算すると44平方メートル毎に投票所があるってことになる。多すぎだろ。さすが世界随一の人口密度を誇る都市だ。ぼくの自室から会社までの歩いて10分くらいの道中で5カ所くらい見かけたので、それもうなづける。
僕の自室前でも投票所が作られて投票が行われていた。その様子を写真と共に紹介する。

各投票所の様子と気になった点


自室前の道路に設置された投票所。


この狭いとこ通ろうとする無謀な車…。
さすがインドネシア‥。



各投票所の入り口。住所によって場所が分けられている。


候補者の写真が掲載されている投票用紙を受け取り、


候補者の写真のいずれかに穴をあけて、


提出する。


そして既に投票したという証として、小指にインクを付ける。二重投票防止の策だ。


投票したよ、と指を見せる人々が冒頭の写真と上記の写真に映っている。

午後1時に投票は締め切られ、その場ですぐに開票される。運営のおっちゃんやおばちゃんが一枚ずつ、どこに穴があいているかを確認し、記録係に伝え、それが記録されていく。投票所の開票に関する情報はすぐに選管に集められ、数時間後にはだいたいの結果が出る。これがおおまかな投票の流れだ。

この選挙の風景を見ていて気になったことが3つある。ひとつは極めて原始的と行っても過言ではないくらい前時代的な投票の方法。ふたつめは各投票所の規模と手作り具合について。みっつめは選挙の様子がとても楽しそうだったこと。

前時代的投票方法について

気になった事のひとつめ、投票方法について。この投票の方法は、文字が読めなくても行える極めて単純な方法である。識字率の低い国でこの方式がとられるなら話は分かるが、インドネシアの識字率は9割を超える(中央統計局調べ)。

ある方と選挙の話をしていた際に、「この投票方法は昔のモザンビークと同じだ」という話を聞いた。その方は1993年から1995年までモザンビークに駐在していたので、その当時の話。

モザンビークについて簡単に調べてみた。正式名称モザンビーク共和国。アフリカ南東部の共和国。15世紀からポルトガルの植民地となり、1975年に独立。2200万人、一人当たりGDPは896ドル(2008年時点)で識字率は54%。この識字率では、確かに文字を読む必要がある方法では選挙に参加できない人が多くなる。

一方の、一人当たりGDP3500ドル(ジャカルタに限って言えば8000ドル近い)で、9割を超える識字率のインドネシア。モザンビークと同じシステムを採用しているのでは、行政の能力が疑われても仕方ない。町内会のおっちゃんやおばちゃんが投票用紙一枚ずつチェックして行くが、10分ほど立ち見していた中だけでも、どれに穴があいてるのかわからず無効になってしまっているケースが一件あった。じゃかるた新聞の記事でも同じ話が載っていたので、少なくはないはずだ。

正確性や不正防止、開票にかかる時間、コストを考えるとマークシートなどを用いた記号式投票への以降が望ましい。とはいえ日本も自署式という無効票が多く出てしまう方式を採用しているので他国の事を言えた状態ではないが。

各投票所の手弁当っぷりについて

ふたつめの、あまりに小さい各投票所の規模と手作り感について。各投票所は、町内会のような組織が中心となって運営する。

インドネシアには、第二次世界大戦中に日本軍が占領下のジャワで導入した「トナリグミ」(隣組)を起源とする、RT(Rukun Tetanggaの略)、RW(Rukun Wargaの略)という最小単位の住民組織がある。それぞれ「エル・テー」「エル・ウェー」と読み、日本語では「隣組」「町内会」と訳す。住民情報の管理や地域の清掃など、地域活動の中心としての役割が行政から与えられており、生活の中の様々な機会で、このRTとRWが動員の単位となる事が多い。選挙の管理も勿論そうだ。

事前投票ができなかったり、規模の問題で効率が悪いなどいくつか問題点はあるが、市民の手で選挙を作り上げているので、「みんなで選んでいる感」が強いというか、良い側面もあると感じた。投票日の前日夜から設営が行われ、投票日は公的な休みとなる(残念ながら企業によって休みにしないけど)。自分とは無関係だと切り離してただ通り過ぎていくことができる日本の選挙と違って、誰もに関係あって、(手伝わされてだるい、とか含めて)みんなで社会を作っているという実感があるんじゃないかな。

この文章を書いていて、ふと自分の母校の文化祭を思い出した。僕の通っていた高校は、学園祭などのイベントごとの運営を全て学生に任せるという特徴的な文化で、それらのイベントは親御さんや生徒本人、そして外部の人々にもとても好評だった。自分たちで作り上げるものには愛着が湧くし、結果的に運営、参加者がとても生き生きと活動できると、イベントの魅力も高まっていくのではないか。近頃、都立高校の中で倍率が一番高くなったらしく、その魅力は多くの人に認められつつあるのだと思う。

活気のある各投票所を見ていると、無意識に、多くの人が他人事として関心を持てない日本の選挙の風景と比べてしまい、なんだか哀しくなった。ぼくが都市部にしか住んだ事が無いため感じる事なのだろうか。

楽しそうな、活気のある選挙風景

みっつめの、楽しそうな選挙の風景について。州知事選挙は端から見ていて、さながらお祭りのような賑やかで活気のある光景だった。町中の至る所に選挙ポスターが張ってあったり、(上記写真、選挙が終わってすでに3ヶ月以上経ってもまだ散見される)新聞やテレビ、屋外の看板などに候補者の広告が出ていた。応援グッズを勝手に作って、届け出もなしにデモみたいなことをやっている人々もいた。冒頭で名前を出したジョコウィのトレードマークは、いつも彼が着ている赤と紺のチェックのシャツんなのだけれど、似たようなシャツを着てバイクや車に乗り、応援メッセージの旗を振り回しているところを見かけたこともある。

下記ブログによると、クリエイター集団が候補者の1人をテーマに動画を制作し、3日で50万回以上の再生数を叩き出したという。
(アートとクリエイターと政治 http://d.hatena.ne.jp/m_h/20120922/1348304925
日本で暮らしていると「政治」と「アート」という二つの言葉は、極めて結びつきづらい。少なくとも僕の中ではそうだった。でも、現実の社会に影響を与えていくのが本当に力を持った芸術だとするならば、政治はそのテーマとして非常に可能性が大きいのではないか。なんてことを、一連の選挙の風景を見ていて思った。

選挙の風景を日本と比べてみて、いくつか思った事を書いてみた。経済成長の見込みが大きかったり、国全体の平均年齢が極めて低く勢いがある事など、いくつかの違いはある。それにしても、日本の選挙の風景は、なんというか寒々しすぎるような気がした。何が原因なんだろうなあ。

長くなってしまったので、みっつのエントリに分けるべきだったかな。ここまで読んでくれた方、ありがとうございます。